元史演義第五十九回 内禅を阻み左相罪を得、大都に入り逆臣誅に伏す (阻內禪左相得罪 入大都逆臣伏誅)
陳友諒の敗北と朱元璋の台頭
- 陳友諒の即位式は暴風雨で散々な有様となった。朱元璋配下の康茂才の偽りの内応の誘いに乗って進軍したが、江東橋で伏兵に大敗し、単身逃げ帰った。
- 朱元璋は江州を奪い龍興を降し、建昌・饒・袁の諸州を平定して声望を高め、自ら呉王を称した。
南方群雄の情勢
- 武昌に逃れた陳友諒は日に衰えた。明玉珍は壽輝の恨みを晴らすため友諒と断交し、雲南を攻略して国号夏を建て天統と改元、蜀の民心を得た。
- 方国珍・張士誠らは元廷の招撫に応じたり背いたりを繰り返し、元の忠臣星吉・褚不華らは各地で戦死した。東南は群雄割拠の状態となった。
順帝の内政――哈麻の失脚
- 順帝は政治を顧みず荒淫にふけり、左右丞相も佞臣や凡庸な者ばかりであった。
- 宰相哈麻とその弟雪雪は権力を握ったが、哈麻は妹婿の禿魯帖木兒(宮中で淫を導く)を糾弾し、順帝への内禅を勧めようとした。禿魯帖木兒はこれを察知して順帝に密告。
- 順帝は搠思監に哈麻を弾劾させたが、途中で処罰の意向を翻すなど混乱を見せた。最終的に哈麻兄弟は左遷となり、途中で監押官と揉めて殺された。
搠思監・太平の対立
- 搠思監が左丞相となり、旧相の太平が右丞相に返り咲いた。太平は奇皇后・皇太子側の内禅工作に一人正論を唱えて従わなかった。
- 奇皇后母子は太平を恨み、太平配下の官僚を誣告して処刑させた。太平は病と称して辞職。
- のちに陽翟王の反乱鎮圧のため太平は出兵を命じられ功を挙げたが、帰郷の途中で御史大夫普化の讒言により官を削られ、さらに土蕃へ流されて自裁を強要され、六十三歳で服毒死した。
樸不花・搠思監の専横と大獄
- 太平の子也先忽都も、奇皇后の側近である宦官樸不花と権臣搠思監の陰謀で誣告され、獄死。台官らも粛清された。
- 順帝の母舅である御史大夫老的沙は台官の弾劾を擁護したため、奇后母子に恨まれ雍王に封じられて追放同然に大同へ向かった。
孛羅帖木兒の反乱
- 大同鎮帥の孛羅帖木兒は老的沙・禿堅帖木兒を庇護したため、搠思監・樸不花に誣告されて官爵を削られた。
- 怒った孛羅帖木兒は軍を発して大都に迫り、皇太子の防戦もむなしく都は大混乱に陥った。順帝は搠思監・樸不花を差し出すことで一旦収拾したが、両名は禿堅帖木兒の軍によって斬殺された。
- 孛羅帖木兒はその後も皇太子と対立し、再び兵を率いて大都に迫った。伯撤里の仲介で入朝し、左丞相に任じられ、やがて天下の軍馬を統べる右丞相に昇った。
孛羅帖木兒の暗殺
- 孛羅帖木兒は専横を極め、西番僧や禿魯帖木兒らを誅殺し、擴廓帖木兒とも対立した。奇皇后を宮中から追い出し幽閉するなど暴挙を重ねた。
- 也速らは擴廓と結んで孛羅打倒に動き、孛羅配下の姚伯顏不花も水攻めで捕らえられ殺された。
- 孛羅帖木兒は奇皇后が送った美女に溺れ、警戒を怠っていたところ、威順王の子和尚が仕組んだ刺客によって宮門で刺殺された。老的沙も追討され、一族もろとも殺害された。禿堅帖木兒も逃走先で討たれた。
擴廓帖木兒の台頭と奇后の立后
- 順帝は皇太子を呼び戻し、擴廓帖木兒を左丞相に任じたが、奇后母子は彼にも内禅への協力を迫った。擴廓は従わず、視師を願い出て河南王・太傅に任じられ、関陝・晋冀・山東方面の軍権を委ねられた。
- 皇后弘吉剌氏の死去に伴い、奇氏(高麗出身)が正后に立てられ、名目上蒙古の姓「肅良合氏」を名乗らされた。
(詩:奇后の専横が内乱を招いたと詠う内容の詩)
評語
女寵・宦官・権臣・強藩の四つはいずれも国を滅ぼす要因だが、その根本は女寵にある。本回で描かれる宦官樸不花、権臣搠思監、強藩孛羅帖木兒・擴廓帖木兒の興亡はすべて奇后母子の内禅工作を軸に絡み合っている。奇后母子が樸不花・搠思監と結んで権勢を貪り、孛羅・擴廓が相次いで反乱を口実に入京した経緯を見れば、順帝の女色への耽溺こそがこの奇禍を招いたことは明らかである。