元史演義第五十二回 太后を逐い孤児に及び、賢相を用い並びに名士を徴す (逐太后兼及孤兒 用賢相並徵名士)
順帝、伯顏を逐い意を強める
- 伯顏失脚後、近臣は口をそろえて順帝にへつらい、太子燕帖古思の欠点を言い立てて廃立を勧める。
- 順帝は太皇太后の手前ためらうが、近臣は太皇太后の過去の専断や文宗当時の経緯を持ち出し、順帝を煽動する。
太皇太后・太子廃黜の詔
- 順帝は脱脱に諮ることなく、近臣の起草した詔を独断で発布。
- 詔は文宗の廟主撤去、太皇太后卜答失里の尊号剥奪と東安州への追放、燕帖古思の高麗流罪、関与者の処刑を命じる内容だった。
脱脱の諫言失敗
- 脱脱は急ぎ参内して取り消しを求めるが、順帝は「伯父を逐ったお前と同じく、朕も叔母を逐うだけだ」と切り返し、脱脱は反論できず退出。
太后母子の悲劇
- 文宗の神主は太廟から撤去され、太后母子は宮を追われる。母子は途中で引き離され、別々の道を歩まされる。
- 御史崔敬が、幼い燕帖古思への憐憫を訴える上奏を提出するが黙殺される。
- 太后は東安州で困窮のうちに病を得て死去。臨終に我が子を案じる言葉を残す。
- 燕帖古思は監押官月闊察兒に虐待され、途中で落命。順帝には病死と偽って報告された。
文宗系統の粛清と機構縮小
- 順帝は文宗ゆかりの官署(太禧宗禋院・奎章閣・藝文監等)を廃止・改称。
- 翰林学士承旨の巎巎の諫言(民間ですら家塾を持つのに天朝が学房を持たぬのはおかしい)を容れての措置だった。
- あわせて明宗を追尊し、盛大な儀式を行う。
至正改元
- 「至元」から「至正」への改元を決定、馬紮爾台を太師、脱脱を中書右丞相、帖木兒不花を中書左丞相とする詔を発布。
三史編纂と賢臣登用
- 脱脱を都総裁として遼史・金史・宋史の編纂を命じ、鉄木児塔識・張起岩・欧陽玄・呂思誠・掲傒斯らが総裁を務め完成に至る。
- 脱脱は処士(完者図・執理哈瑯・杜本・董立・李孝光・張枢)を推薦召致するが、杜本・張枢は隠棲を貫き応じず。
- 脱脱は順帝に経史を学ぶよう勧め、裕宗旧蔵の書を進呈させる。
脱脱辞職と後任問題
- 左丞相帖木兒不花が罷免され別兒怯不花が後任、脱脱と不和になり脱脱は辞表を提出、順帝はこれを許し阿魯圖を右丞相とする。
- 脱脱は鄭王に封ぜられるが辞退、なお史書編纂には関わり三史完成に至る。
巎巎の死と別兒怯不花の暗躍
- 至正五年、三史が完成し順帝が史書の意義を訓示。
- 翰林学士承旨の巎巎が病没、その生前の諫言(徽宗の失政を例に「君主たること」の難しさを説く等)が回想される。
- 別兒怯不花は阿魯圖と親しく振る舞いつつ脱脱を陥れようと画策するが、阿魯圖に拒まれると台官を使嗾して阿魯圖を弾劾させ、自ら右丞相の座を得る。脱脱一族に禍が迫る伏線となる。
評語
- 著者は、順帝を「昧と明を繰り返す庸柔の主」と評し、太皇太后卜答失里は過ちもあったが順帝擁立に功があったのに、廟主撤去・皇弟殺害という非情な仕打ちを受けたのは讒言に惑わされた結果だとする。
- 改元・賢臣登用など一時の善政も、根本の暗愚を覆すには至らなかったとし、小善では大局を救えぬ教訓として記したと結ぶ。