元史演義第四十八回 嗣皇を迎え権相疑いを懐き、冥譴に遭い太師病逝す (迎嗣皇權相懷疑  遭冥譴太師病逝)

鄜王の急死と後継問題

  • 鄜王は十月に即位し立后したものの、まもなく重病にかかりわずか在位六、七十日で崩御する。燕帖木兒は皇太后に皇子燕帖古思の擁立を進言するが、太后は「燕帖古思はまだ幼い、明宗の長子妥歡帖睦爾を静江から迎え立てるべき」と主張する。
  • 燕帖木兒は「先帝は妥歡帖睦爾を明宗の実子ではないとして遠ざけた」と反論するが、太后は「先皇夫妻の祟りを恐れる、我が子はまだ幼く先に犠牲になった兄の二の舞にしたくない」と述べ、燕帖木兒の説得に応じない。太后の決意は固く、闊里吉思を静江へ派遣して妥歡帖睦爾を迎えさせる。

妥歡帖睦爾の入京

  • 妥歡帖睦爾一行が良鄉に着くと、燕帖木兒は自ら威儀を示すのみで拝礼せず、妥歡帖睦爾も終始無言のまま燕帖木兒の言葉に応じない。燕帖木兒は道中くどくどと自分の功績と忠誠を語り、太后への孝行を説くが、妥歡帖睦爾は木偶のように黙したままであった。
  • 燕帖木兒は内心、この若者の胸中を測りかね、警戒を強める。

燕帖木兒の専権継続

  • 入京後も燕帖木兒は「幼帝にはまだ荷が重い、当面は太后が政務を取り仕切るべき」と主張し、太后もこれに従う。妥歡帖睦爾は名ばかりの候補皇帝として宮中に留め置かれ、実権は握れないままであった。
  • 太史からも「迎立した嗣皇は不祥、立てれば天下乱れる」との密奏があり、太后はますます決断できずにいた。

燕帖木兒の病と最期

  • 旧知の趙世延が燕帖木兒を宴に招き、そこで燕帖木兒は自分の寵姫鴛鴦の顔さえ覚えていないほど後房の女性に無頓着になっていたことが露見し、一同の失笑を買う。それでも鴛鴦を伴い帰邸し、以後も酒色に溺れ続ける。
  • 過度の淫楽がたたり、次第に体を壊し、老病も重なって重篤となる。ある日突然倒れて意識を失い、譫言でひたすら自らの罪業を悔いる言葉を漏らすようになった。医師たちも手の施しようがなく、死期が近いと告げる。
  • 一時意識を取り戻した燕帖木兒は、妃の八不罕(泰定后)に「あなたは泰定帝に背き、私はあなたに悪いことをした、互いに報いだ」と語り、伯顏が見舞いに来ないことを嘆く。弟撒敦、子の唐其勢・塔剌海に後事を託し、「先皇先後お許しを」と言い残して息を引き取った。

評語

  • 燕帖木兒は表向き忠義を装いながら、泰定帝を裏切って二王を迎え、文宗を助けて明宗を弑すなど、君主を将棋の駒のように扱った大奸物である。董卓・曹操も及ばぬ所業を成し遂げた稀代の権臣といえる。
  • 鄜王擁立も妥歡帖睦爾擁立も燕帖木兒の本意ではなかったが、幼い鄜王のうちは黙認し、妥歡帖睦爾には無言の抵抗にあって異心を抱いた。もし死なずにいれば妥歡帖睦爾の身も危うかったであろう。酒色に溺れて自滅したのは天罰というべきである。