元史演義第四十三回 逆謀に中り途次に暴崩し、御宝を得て馳せ帰り御極す (中逆謀途次暴崩 得御寶馳回御極)
明宗の即位礼と人事
- 明宗(周王和世梀)は南下の準備を進める中、燕帖木兒が御璽を奉じて到着。明宗は燕帖木兒を太師・中書右丞相に任じ、京師の百官の任用をそのまま認める旨を伝える。
- 燕帖木兒の進言により、武宗の旧臣である哈八兒禿・伯帖木兒・孛羅らを要職に登用。宴席で台臣に対し、御史台の職責の重さを説く訓示を与える。
- 中書省・枢密院・御史台の分担を諸臣に諭し、懐王を皇太子に立てる使者を京師へ派遣。故太子の印璽が失われていたため新たに鋳造させる。
陝西の飢饉と張養浩の救済
- 陝西の大旱に対し、皇太子(懐王)は張養浩を陝西行台御史中丞に起用し賑済にあたらせる。
- 張養浩は道中で飢民を救い、華山で祈雨して大雨を得るなど尽力。偽造の乱れた紙幣(鈔)を整理して流通を正し、富民に穀物供出を促す新制度も定める。
- 過労のうちに任地で没し(六十歳)、陝西の民に深く悼まれ、濱国公を追封、諡は文忠。
王忽察都での明宗急死
- 明宗は節約を命じつつ京師へ向かう途中、王忽察都で皇太子(懐王)と対面。和やかな宴の後、燕帖木兒は太子と深夜まで密談する。
- 天暦二年八月六日朝、明宗は突然七竅から出血し、四肢が青黒く変じて崩御しているのが発見される。皇后八不沙は動転して声も出せない。
- 太子は動揺しつつも、燕帖木兒に促されて明宗の枕元にあった御璽を受け取る。燕帖木兒は太子を促して急ぎ帰京させ、途中で伯顏を中書左丞相に任じるなど側近を一新する。
文宗(懐王)の再即位
- 上都に着いた太子は監察御史徐爽らの勧進を受け、即位を決断。即位詔では、明宗への譲位の経緯と自らの即位理由を述べ、天暦二年八月十五日を以て即位したと宣言。
- 先帝(明宗)の廟号を「明宗」と定める。在位わずか七か月、改元の詔すら発せられぬまま毒殺された明宗の末路が語られる。
- 文宗(懐王、廟号)は建康に龍翔集慶寺を建立しようとするが、南台御史から民の負担を理由に諫言を受け、監督の台臣を罷免する。
- 帝師(西域の輦真乞剌思)を迎える儀礼で、国子祭酒の富珠里翀が儒教の権威を盾に一歩も譲らぬ対応をし、周囲を感嘆させる。
- 燕帖木兒の功績により、その曾祖父母・祖父母・父母にまで王・王夫人の追封が及び、功績を刻んだ石碑も建てられる。左丞相職を廃して燕帖木兒に軍国の重事を一任する詔が下り、以後燕帖木兒の権勢は絶頂に達する。
評語
著者は、明宗が和寧で即位した際の詔令には特に暴政の兆候は見られなかったにもかかわらず、王忽察都に着いてわずか二晩で急死したことを問題視する。皇太子も右丞相(燕帖木兒)もその死を追及せず、御璽を得るや直ちに馬を駆って南下した行動から、両者による暗殺を強く示唆する。太子が即位前から旧臣を入れ替えていたことも野心の表れとし、後ろめたさから仏事に頼ろうとする文宗の態度を、天に背いた者が祈っても無益であると評する。