元史演義第三十九回 大明殿にて尊を称し勅を頒ち、太平王敵を殺し功を建つ (大明殿稱尊頒敕  太平王殺敵建功)

懐王の北上と上都側の反撃準備

  • 懐王図帖睦爾は河南で伯顏らを従え、諸王買奴・鐵木兒不花・寛徹不花・鐵木兒補化らを召し集めて北上を続ける。
  • 上都側では諸王滿禿・阿馬剌台らが燕帖木兒と内通して挙兵を企てるが、事前に丞相倒剌沙に露見し、十八人のうち九人が捕らえられて処刑される。

天順帝の擁立

  • 倒剌沙は泰定皇后に働きかけ、皇太子阿速吉八(わずか九歳)を上都で即位させる(後の天順帝)。皇太后として泰定皇后を尊び、翌年を天順に改元する予定とする。
  • 上都側は梁王王禪・遼王脱脱ら諸王・重臣を集め、京師(懐王方)への進撃を命じる。

両都の合戦(緒戦)

  • 上都軍の失剌は軍を三隊に分けて南下するが、京師方の脱脱木兒が古北口から宜興に進出して待ち伏せ、乃馬台の第一隊を撃破し乃馬台自身を捕える。
  • 続く欽察の第二隊も脱脱木兒に迎撃されて総崩れとなり、欽察は討ち取られる。
  • 最後の失剌自身の後軍も敗報を聞いて撤退し、殿の兵のみが討たれる形で三隊とも壊滅する。

懐王の即位

  • 懐王が河南から京師近郊まで到達し、燕帖木兒らに出迎えられて入京。当初は「兄(周王和世㻋)が朔方にいる間は帝位を越権できない」として監国にとどまろうとするが、燕帖木兒らの強い勧めを受け、九月十三日に大明殿で即位する(後の文宗、天暦元年と改元)。
  • 即位の詔では、晉王一派の逆謀による英宗弒逆から始まる混乱、倒剌沙・烏都伯剌ら権臣の専横を非難し、周王を待って本来譲るべき皇位をやむなく継いだとする趣旨が述べられる。大赦を布告し、朵朵・王士熙・伯顏察兒・脱歓らを流罪とする。
  • 燕帖木兒は太平王に封じられ、中書右丞相兼知樞密院事として莫大な恩賞を受ける。

燕帖木兒の奮戦

  • 遼東方面からの上都軍来襲の報を受け、燕帖木兒は薊州へ出陣するが、居庸関突破の急報で京師防衛に転じる。懐王自ら出陣しようとするのを諫めて還宮させ、自ら軍を指揮する。
  • 榆河での戦いで梁王王禪の軍と対峙し、激戦の末に北軍を破って紅橋まで押し返す。梁王配下の猛将阿剌帖木兒・忽都帖木兒との一騎討ちも制する。
  • 翌日以降も伏兵による包囲戦、矢による牽制など巧みな用兵で北軍を白浮まで後退させ、さらに夜襲(劫営)による攪乱作戦を用いて、上都軍が同士討ちを起こす混乱を誘発し、大きな戦果を挙げる。

評語

懐王の即位は本来正統とは言い難く、泰定の系統からすれば既に皇太子が上都で即位しており、武宗の系統からすれば本来周王が継ぐべきであったと著者は指摘する。燕帖木兒が私心から擁立を主導し、懐王も「兄に譲る」という言葉を実行しないまま帝位についたことを批判しつつ、戦における燕帖木兒の智略は曹操の用兵に例えられるとし、忠臣を装いながら実は私欲による専権者であったことを暗に示す構成になっていると結ぶ。