元史演義第一十八回 ロシア全境兵を被り、欧羅巴東方敵を受く (阿魯思全境被兵 歐羅巴東方受敵)
八赤蠻の最期
- 海島に逃げ込んだ八赤蠻もついに捕らえられ、モンケの前でも屈せず「死あるのみ」と嘯く。守卒に「風がやめば海水は戻る、早く帰らねば水没するぞ」と語るが、これは助命への駆け引きに過ぎなかった。モンケは処刑を命じ、軍を北へ進める。
アロシ(ロシア)諸都市の攻略
- モンゴル軍は也烈贊城を攻める。城主・幼里は防戦するが敗れ、子は殺され、その妻(速不台が見初めた美婦)は貞節を守って自ら楼上から身を投げて死ぬ。幼里も自刎し、速不台は怒りに任せて全城を屠る。
- 続いてクロムナ城、モスクワ城を攻略。アロシ首邦の攸利第二汗は各地で防戦するが敗死し、二人の王子も戦死、妃嬪・官紳らは礼拝堂に立てこもるも焼き討ちに遭い全滅する。
禿里思哥城の攻防
- 城主・瓦夕里は毒矢と巨石で頑強に抵抗し、モンゴル軍は速不台・モンケともに一時撃退される。五、六十日に及ぶ攻城戦でモンゴル軍も七、八千人の死者を出す。
- モンゴル軍は偽装退却で瓦夕里を油断させ、援軍を得て夜襲で城内に火を放ち突入。瓦夕里は奮戦の末に矢を受けて落馬し、捕らえられかけた瞬間、自ら川に身を投げて果てる。
南俄・波蘭方面への進撃
- モンゴル軍は欽察を平定した後、南ロシアの要衝・計掖甫(キエフ)へ向かう。守将は降伏し、拔都に西征を勧める。拔都は速不台にポーランド、自らはマジャル(ハンガリー)へ向かうことを決める。
- 速不台の子・兀良合台(ウリヤンカダイ)が先鋒としてポーランド四部を撃破。日耳曼(ドイツ)・ポーランド連合軍との戦いでは巧みな偽退却戦術で敵将ヘンリー(亨力希)以下五軍を全滅させる。
マジャル(ハンガリー)戦役
- 拔都はマジャル王・貝拉(ベーラ)に降伏を勧告するが拒絶され、進軍。天主教徒の抗戦も退け、貝拉は一時モンゴル軍を打ち破るが、速不台父子の援軍到着で形勢は逆転する。
- 速不台の策で漷寧河を渡河奇襲し、猛将・八哈禿の決死隊が橋を突破するが、八哈禿自身は戦死。マジャル軍は敗れ、貝拉は逃走してマジャル城も陥落する。
- 拔都軍はさらに貝拉を追ってオーストリア方面まで進むが、ここで窩闊台汗の訃報が届き、拔都は貴由を先に帰国させ、全軍を東へ撤収させる。
評語
拔都の西征は今のロシア東部から東欧のポーランド・ハンガリーにまで及んだ。『元史』はヨーロッパの地理に疎かったため西征の詳細を欠くが、西洋の史書とも照合し、烈婦の殉節や猛将の死義など埋もれた逸話も本回で補い顕彰した。単なる小説として片付けるべきではない。