元史演義第一十四回 角端を見て西域より班師し、欽察を破り帰途に将を喪う (見角端西域班師 破欽察歸途喪將)
札蘭丁の脱出と八剌の追撃
- 印度河に身を投じた札蘭丁は密かに泳いで逃れる。成吉思汗はその勇気を惜しみ、深追いを止めさせつつ部将八剌に筏で追わせる。
哥疾寧の平定と各地掃討
- 成吉思汗は哥疾寧城の降伏を受け入れるが、窩闊台の策で夜間に住民を殺害し工匠・婦女のみ残す。以後も西域各地で叛意ある部落を徹底的に討伐し、多数を殺害する。
進軍継続の是非
- 八剌からは札蘭丁の行方不明の報が届く。成吉思汗はなお追撃を望むが、耶律楚材は「西域転戦既に数年、威声は十分に広まった」と諫める。折しも哲別が太和嶺(コーカサス)を越え阿羅思方面で戦果を上げたとの報が入り、成吉思汗は八剌への合流と印度平定を優先し進軍を続ける。
角端出現と班師の決定
- 猛暑の印度河畔で人語を話す異獣「角端」が現れる。耶律楚材はこれを瑞獣とし、天が殺生を戒めていると説く。成吉思汗はこれを天意と受け止め、班師を決断する。
帰途の出来事
- 八剌を呼び戻し、布哈爾へ帰還する途中、回教の主教曷世哀甫と教義について問答し、聖職者の賦役を免除する。
- さらに東行し、葉密爾河で孫の忽必烈(十一歳)・旭烈兀(九歳)が出迎え、狩りで獲物を仕留めて成吉思汗を喜ばせる。朮赤や哲別・速不台の帰還を待たず、成吉思汗は帰国の途につく。
哲別・速不台の欽察遠征
- 哲別・速不台は太和嶺を越え欽察部の玉里吉らと対峙。偽りの和睦で敵を油断させて奇襲し、玉里吉とその子を討ち取る。
- 朮赤から援軍を得た両将はさらに北進し、玉里吉の兄霍脫思罕の報復軍を計略(偽装退却と伏兵)で撃破する。
阿羅思諸侯との激突
- 霍脫思罕は阿羅思(ロシア)領内に逃げ込み、娘婿の密只思臘(ハーリチ公)を頼る。密只思臘は近隣諸侯を糾合し蒙古軍に対抗しようとし、和平を求める蒙古の使者の大半を殺害する。
- 喀勒吉河(カルカ川)の戦いで密只思臘は単独で渡河し大敗、欽察軍も崩れる。他の阿羅思諸侯は包囲され、偽りの降伏交渉の末に騙し討ちにされ、多数の将が命を落とす。
哲別の死
- 阿羅思の宗主攸利第二の援軍も敗報を聞いて撤退する。哲別は病を得て、成吉思汗の召還命令を受け帰途につくが、道中で病没する。速不台がその遺骸を運び東帰する。
評語
- 『元史』が「太祖は東印度国に至り角端が現れて班師した」とするのに対し、本書は角端出現の場を印度河畔として、成吉思汗が実際には印度河を渡っていない史実と整合させ、耶律楚材の諫言の巧みさに重きを置いた構成を取ったと説明する。哲別・速不台の欽察遠征についても考証を尽くしたと自賛する。