元史演義第一十一回 西夏主女を献じ和を乞い、蒙古軍関に入り武を耀かす (西夏主獻女乞和 蒙古軍入關耀武)
論功行賞
- 成吉思汗は即位後、兄弟を王に封じたほか木華黎を第一の功臣、博爾朮を次席として左右万戸に任じ、他九十五人を千戸に封じる。術撤帶には特に汪罕の娘亦巴合を下賜する。亦巴合はかつて成吉思汗の側室だったが、術撤帶の戦功に報いるためと説明され、以後二人は連れ添う。
人生最大の楽しみ問答
- 祝宴で成吉思汗は諸将に「人生最大の楽しみは何か」と問う。木華黎は天下統一、博爾朮は鷹狩り、博爾忽・忽必来もそれぞれ答えるが、成吉思汗は「敵を滅ぼし、その馬や財産を奪い、妻女を我が寝所に侍らせることこそ最高の楽しみ」と述べる。
中原経略の方針
- 木華黎が中原攻略を進言し、成吉思汗は西夏・金・宋の順で攻めることに同意。この年(丙寅)が元太祖元年とされる。まず宮室・関所・官制など建国の体制整備に時間を費やす。
吐麻部の反乱と博爾忽の戦死
- 豁兒赤がかつて「即位したら美女三十人を与える」との約束を成吉思汗に持ち出し、吐麻部で女を求めさせるが部民に拒まれ使者が捕らわれる。成吉思汗は博爾忽を派遣するが、油断していた博爾忽軍は夜襲を受け博爾忽が戦死する。
都魯伯の吐麻部討伐
- 成吉思汗は自ら報復に赴こうとするが諫められ、都魯伯を大将に任命。都魯伯は奇襲策で吐麻部の女酋孛脫灰塔兒渾を捕らえ、豁兒赤には約束通り美女三十人が与えられる。女酋は捕虜の忽都合別乞に与えられる。
西夏侵攻と周辺諸部の帰順
- 蒙古軍は西夏の諸城を落とす。西域のキルギス系二部族が乃蠻滅亡を機に帰順を申し出、鷹や馬などを献上する。
- 成吉思汗の娘たちの婚姻(火真別姬・扯扯乾・阿勒海別姬)が語られ、いずれも周辺部族との結びつきに用いられる。
畏兀兒部の帰順
- 畏兀兒部酋亦都護が使者を送り臣従を申し出、成吉思汗の義子となることを望む。成吉思汗は娘阿勒敦を与える約束をするが、亦都護の正妻の嫉妬により婚儀は長く延期され、窩闊台の代になってようやく実現する。
西夏との戦いと講和
- 西夏主李安全は子を元帥、高令公を副将として蒙古軍に抵抗するが烏梁海城が落ち、克夷門も突破される。西夏都城を包囲した成吉思汗は河水を引き入れる作戦を用いるが、堤防決壊で撤退を余儀なくされる。李安全は娘察合を献上して和議を結び、成吉思汗はこれを受け入れて撤兵する。
金への出兵開始
- 李安全は金の葭州を攻めるが敗れ、逆に蒙古へ金討伐を促す。折しも金は新帝衛王永濟が即位し使者を送るが、成吉思汗は永濟を侮り、旧怨(俺巴該汗の処刑)を理由に使者を追い返す。
野狐嶺の戦いと居庸関攻略
- 成吉思汗は朮赤・察合台・窩闊台を率いて金へ進撃。哲別が烏沙堡を落とし、金将完顏糾堅の四十万大軍を野狐嶺で撃破(部将明安が蒙古に内通し金軍情報を漏らす)。
- 哲別は偽退却の計で居庸関を陥落させ、成吉思汗は関に入る。
金都攻防と権臣の内訌
- 成吉思汗は中都近くまで攻めるが陥落させられず、いったん居庸関で越冬。翌年、金の降将耶律留哥が遼東で自立し蒙古に帰順。金では胡沙虎が永濟を弑逆して升王珣を擁立、蒙古は再び三方から進撃する。
- 金軍は高琪の敗北後、胡沙虎自ら出陣するが高琪との内紛で殺される。金主珣は高琪を許し要職に就けるが、後に高琪は謀反で処刑される。
- 蒙古軍は中都を落とせぬまま周辺諸郡を席巻し、九十余郡を陥す。
金の講和と献女
- 成吉思汗は金主に使者を送り「金銭と子女を献じれば撤兵する」と迫る。金は完顏承暉を交渉役に立て、故主永濟の娘を公主と偽って献上し、金銀・童男女・馬などを贈って蒙古軍を居庸関まで見送らせる。
評語
- 成吉思汗の野心は結局のところ金帛と女を多く得ることに尽きるとし、中原攻略を積極的に進言したのは木華黎であって、その大志は成吉思汗以上だったと評す。天が成吉思汗を主、木華黎を臣としたことを皮肉り、西夏・金がともに衰えていたのに献女によって和議に応じ攻め滅ぼさなかった成吉思汗の姿勢を批判する。