元史演義納忽山にて弱主身を亡ぼし、斡難河にて雄酋帝を称す(第 十 回 納忽山孱主亡身 斡難河雄酋稱帝)
太陽汗の出兵とワンク部の裏切り
- 乃蠻の太陽汗は帖木真を攻めようとし、汪古部へ使者卓忽難を送って挟撃を持ちかける。部下の可克薛兀撤卜剌黑は時期尚早と諫めるが、太陽汗は聞き入れない。
- 汪古部の酋長阿剌兀思は蒙古と乃蠻の距離を天秤にかけ、卓忽難を捕らえて帖木真に引き渡す。帖木真は使者を厚遇し、後日の助力を約す。
帖木真、乃蠻攻めを決す
- 帖木真は諸将を集めて西征を諮る。慎重論もあったが、弟の帖木格や別勒古台が積極論を主張し、出兵が決まる。汪古部も合流し、哈勒合河に布陣して敵を待つ。
杭愛山の戦い
- 秋、帖木真は忽必来・哲別を先鋒に乃蠻へ進撃。太陽汗も蔑里吉・塔塔兒等の諸部を後詰めに従え応戦するが、蒙古軍の威容に怯む。
- 部将火力速八赤や息子屈曲律に臆病をなじられ、太陽汗は怒って出撃を命じる。
乃蠻軍の動揺
- 帖木真は弟合撤兒に中軍を託し自ら陣頭に立つ。両軍は激しく矢戦を交え、乃蠻に加勢していた札木合は蒙古軍の強さを見て太陽汗に退却を勧め、乃蠻軍は総崩れとなる。日暮れで帖木真は兵を収め、納忽山の崖に陣を張る。
夜間の疑心戦術
- 夜、帖木真陣営に篝火が焚かれるのを見て太陽汗は夜襲を警戒し、一睡もできぬまま夜を明かす。
- 翌朝、太陽汗は札木合と共に山上から蒙古軍を望み、忽必来・哲別・折里麥・速不台ら「四狗」や豪将兀魯の威容を聞かされるたびに一段ずつ後退し、ついに山頂近くまで退く。
札木合の裏切りと乃蠻軍壊滅
- 札木合は太陽汗の弱腰を見限り、部下を連れて下山し、密かに帖木真へ「今こそ攻め時」と通報する。
- 帖木真は木華黎の進言で夜を待って総攻撃。火力速八赤は太陽汗を督戦しようとするが太陽汗は疲れを理由に応じず、その夜、油断していた乃蠻軍は総崩れとなる。火力速八赤は奮戦の末に討ち死にする。
太陽汗の最期と古兒八速
- 太陽汗は山上で捕らえられ斬られる。乃蠻の残兵は投降し、屈曲律と蔑里吉の脱黑脱阿は逃走する。
- 太陽汗の妃古兒八速も捕らわれる。帖木真は彼女の美貌に魅せられ、当初は拒まれるが説得の末に妃として迎え、その夜のうちに婚儀を挙げる。
蔑里吉部の追討と忽闌の献上
- 帖木真は脱黑脱阿を追い、その子婦を捕らえて三男窩闊台に与える。
- 蔑里吉部の答亦兒兀孫が娘の忽闌を献上する。途中で引き留めた諾延を帖木真は疑うが、忽闌と諾延双方の申し開きにより不問とし、忽闌を自ら側に置く。答亦兒兀孫は褒賞に漏れて不満を抱き叛くが、討伐されて滅ぶ。
脱黑脱阿の死と屈曲律の亡命
- 翌年、帖木真は也兒的石河で脱黑脱阿を討ち取る。屈曲律は蔑里吉・乃蠻の残党を率いて西遼へ亡命する。
札木合の最期
- 捕らえられた札木合の従者が主を裏切って引き渡す。帖木真はその裏切り者を札木合の前で処刑させ、旧交を理由に札木合を許し味方に誘うが、札木合は「もはや対等には戻れない」として自死を望み、帖木真は望み通り厚く葬った。
成吉思汗即位
- 帖木真は斡難河の故地に凱旋し、宋寧宗開禧三年(1206年)冬、部族を招集して九斿の白旗を掲げる。諸酋長に推戴され、闊闊出の進言で「成吉思」の号を加え、成吉思汗として即位。杭愛山麓に都城(喀喇和林)を築く。
評語
- 乃蠻は本来帖木真より勢力が大きかったが、主君が弱く将が粗暴だったために滅んだ。古兒八速は当初節を守ろうとしたが皇后の地位を示されると容易に靡いた点を批判しつつ、火力速八赤の忠死とは対照的だとする。
- 札木合の去就については、史書が彼を項羽・田横に次ぐ器量とし袁紹・公孫瓚に勝るとする評を過大とみなしつつ、帖木真に媚びず自ら死を選んだ点は評価し、作者の人物描写の巧みさを称える。