元史演義自序(自序)

元史編纂の来歴と欠陥

  • 元史は歴代の正史のなかでも欠落が多い。蒙古族は文字記録に乏しく、建国後もしばらくは蒙古語・現地語のみで、士大夫が読みこなせなかった。
  • 世祖の代になってようやく実録が整い、寧宗までの十三朝分が残ったが、世祖以前は簡略、世祖以後も善事は詳しく悪事は略すという偏りがあった。
  • 明の洪武二年、元十三朝の実録をもとに元史編纂が始まり、李善長が監修、宋濂・王禕が総裁となり、わずか半年で書き上げられた。ただし順帝一代分は未整備で、翌年儒者を北平に派遣して遺事を採集し、再び半年で完成させたため、当初から杜撰との批判があった。
  • 徐一夔が王禕に宛てた書簡でも、元は日暦・起居注の制度を欠き、中書の時政科が簡略な記録を史館に渡すのみで、とくに順帝朝は実録すら無く聞き取りに頼ったため、事実の正確さも記述の一貫性も保証できないと指摘されている。

後代の補訂資料

  • 明清期には『通鑑綱目』続編、『元史続編』(通鑑)、『紀事本末』などが編まれたが、採る事実は正史の範囲を出ず、欠落はそのまま残った。
  • 『皇元聖武親征録』『元秘史』は太祖・太宗の事跡を記すが文体が卑俗で省略が多く、『丙子平宋録』『庚申外史』も世祖・順帝の一面を伝えるのみ。『元朝名臣事略』『元儒考略』も同様に限定的。
  • 近年では洪鈞『元史訳文証補』が西洋の史書を訳出して元史の誤りを正す点で有用だが、定宗・憲宗の代までしか扱わない。『蒙韃備録』『蒙古源流』も秘史の類にとどまる。

著者の執筆動機

  • 著者は東西の史籍訳本を読み、蒙古の西征や四汗国の分封・興亡について中国側の史書より詳しいことに気づき、中国の記録の欠を補う意義を感じた。
  • 当初は中西の史料を融合して「元代野乗」を編もうとしたが、力及ばず、事実に基づきつつ通俗の語り口で全六十回の演義とした。正史に載る事項は取捨して引用し、載らない事項も広く採って多くを演義に組み入れたと述べる。

評語

本節自体が自序であり、著者が編纂の由来・執筆方針・資料の限界を読者に説明する内容。中華民国九年一月、古越の蔡東帆(東帆)が上海の寓居で記したとする識語で結ばれる。