綽羅(字時中)と馮三
- 綽羅は字を時中、蒙古氏。元統元年(1333年)進士第に登り、累官して京畿漕運副使となり、出て安陸府知事となった。至正12年(1352年)蘄賊の魯法興が安陸を犯すと、綽羅は兵を募り数百人を得てこれを率いて賊を拒み、賊の前隊を破り勝ちに乗じて追撃したが、賊は他門から入り、急いで兵を戻すと城中に火が上がっており軍民は潰乱し、事はもはや遏えられなかった。そこで朝服を着けて公堂に座り、賊が白刃で脅すと、綽羅はなお逆順の理を説き諭した。ある賊が綽羅を突き倒して跪かせようとしたが屈せず、怒って罵ったので賊酋は忍びず殺すことなく拘留した。翌日また乱に従うよう迫られたが、綽羅は激しく叱し「私は守土の臣、どうしてお前ら賊に従おうか」と言った。賊は怒り刀で綽羅の左脇を斫り断ち、死んだ。賊はその降らなかったことに憤り布嚢に屍を包んでその家に舁いて置いた。綽羅の妻侯氏は出て大いに哭泣し、酒肉を並べて渇いた者に酒を飲ませ飢えた者に肉を食べさせ賊の油断を誘い、夜になると自ら首を吊って死んだ。事が聞こえ綽羅に河南行省参知政事を追贈、侯氏に寧夏郡夫人を贈り、その門に「雙節」の額を立てた。
- 馮三という者があり、湖広省の一公使で元来書を知らなかった。湖広が寇に陥落した際、皂隷の輩がみな起って剽殺し盗をなしたが、これに従わせようとされた。三は「賊の名は悪い、我らがどうしてなれようか」と辞退した。初め強いられても終始従わなかったので、怒って殺されそうになると、三は唾を吐いて罵った。賊は三を十字木に縛り舁いて連行し、その肉を刲ったが三はさらに罵り続けた。江上に至るとその喉を断って捨て去った。その妻は三に従い号泣し、俯いて切り取られた肉を拾って布裙に納め、賊が遠ざかるのを窺って三の血だらけの骸を収め衣を脱いでこれを包み、大いに泣いて江に身を投じて死んだ。