孫撝(字自謙)
- 孫撝は字を自謙、曹州の人。至正2年(1342年)進士、済寧路録事を授かった。張士誠が高郵に拠って叛いた際、ある者が降伏の意があると言うので、朝廷は烏瑪喇(ウマラ)を使として選び士誠を招諭させ、撝を輔行に用いた。撝は家に居りこれを知らなかった。中書は撝に集賢待制を借し駅を給してその家に赴かせ起用した。撝は強いて行き高郵に至ったが、士誠は詔使を迎えなかった。撝らは城に入り繰り返し開き諭すと士誠らはみな竦然として聞いたが、まもなく他室に拘留され、あるいは1日に1度、あるいは隔日に1度食を饋られるだけで、撝を降伏させようとしたが、撝はただ罵り斥けるだけであった。その党に撝を捶たせ陵辱を恣にさせたが、撝は意に介さなかった。
- 士誠が平江に移った後、撝は士誠の部将張茂先と謀り、撝に授けられていた站馬の劄子を用いて壮士の浦四に許誠を鎮南王府へ赴かせ日を約して兵を進め高郵を回復しようとしたが、謀は漏れて撝は捕らえられた。訊問されても撝は罵声を絶やさず、ついに害された。後に賊中で節を失った者を見ると、しばしば互いに咄して「これがどうして孫待制であろうか」と言った。事が聞こえ翰林侍読学士・中奉大夫・護軍を追贈、曹南郡公に追封、諡は忠烈、田3頃を賜りその家を恤した。