元史卷一百九十三 列傳第八十 班巴爾

班巴爾

  • 班巴爾はハタン氏。祖父の莽賚阿楚克はかつて太祖の帳下に隷していた。かつて斉喇(ケレイト)王汗が太祖と隣国で相親しむことを誓っていたが、後に盟を破り子の星根(センクム)と密謀して太祖を襲おうとし、使者を遣わして通問し娘を太祖の弟哈扎爾(カサル)に嫁がせると偽って誘った。約した期日、太祖が赴こうとしたところ莽賚阿楚克はその詐りを疑い諌めて止めた。王汗は謀が漏れたことを知り入寇を謀ったが、後に太祖に滅ぼされた。
  • 父の多倫実喇卜は太祖の西域征伐に従い数々の奇功を立てた。世祖即位に際し班巴爾は旧臣の子孫として万戸に抜擢され諸部の軍馬を率いて謙州を屯守した。至元12年(1275年)親王の錫里済図(シリギ)・卜特穆爾(ブトムル)が反して海都のもとへ奔ったが、班巴爾はこれを聞き自ら討伐に赴くことを願い出て、命が下る前に彼らに襲われ死んだ。図卜特穆爾(トクトムル)はその2子巴拉・布埓齊(ブレチ)を虜として左右に分置し、1年余り待遇はかなり厚かった。巴拉は密かに図卜特穆爾の近侍伊埒巴図(イレバト)と結んで父の仇を報いようと謀ったが、後に伊埒巴図の家人によって漏れた。
  • 巴拉は事が成らないことを知り一族を率いて南へ逃げようとしたが、図卜特穆爾は騎兵を遣わして追い、ある河に至ると巴拉の馬は驚いて渡れず、引き返して抗戦し数人を射たが力尽きて兄弟ともに捕らえられた。図卜特穆爾は「私はお前をこれほど厚遇したのに、お前はなぜこのようなことをしたのか」と責めると、巴拉は「お前は主君に背いて我が父を害し我が親族を掠めた、私は誓ってお前を殺し君父の讐に報いようとした、今は力尽きて捕らえられた、好きにするがいい」と言った。跪くよう迫られても屈せず、鉄の撾(つえ)で膝を砕かれてもついに跪かず、弟の布埓齊とともに殺された。末子の哈塔古斯は官が河北河南道粛政廉訪使に至った。