元史卷一百八十六 列傳第七十三 曺鑑
経歴
曺鑑は字を克明といい、宛平の人。頴悟で常の児童と異なり、南遊して五経の大義に通じた。大徳五年(1301年)翰林侍読学士郝彬の推薦で鎮江淮海書院山長となり、十一年(1307年)南行台中丞亷恒に掾史として辟され、内艱に服した後復職、興文署では安南使者の伴送に応対自在で称賛された。至治二年(1322年)江南行省左右司員外郎として釈氏白雲宗の田地を検括し混乱なく完了させた。泰定七年、湖広行省左右司員外郎として丞相呼喇岱の威福に阿らず独立して職務を全うした。天暦元年(1328年)江浙財賦府副総管として水災の賦を六七割減免し、詭って免れようとした勢家を追徴した。
晩年
元統二年(1334年)同僉太常礼儀院に陞り、典故に通じ礼楽度数名物を悉く知悉し、明宗皇后の祔廟の議で礼経に基づき詳細に論じた。至元元年(1335年)中大夫として礼部尚書に陞ったが、間もなく病を得て卒した。享年六十五。譙郡侯を追封され諡は文穆。天性純孝で貧しい親族を周恤し、三十余年官を歴任しても借家住まいで、没する日には家に余財なく蔵書数千巻のみであった。湖広員外郎在任中、旧掾の顧淵伯から贈られた辰砂の包みに実は黄金三両が混じっていたことに驚き、既に故人となった淵伯の子にこれを返還したという逸話が伝わる。