元史卷一百八十四 列傳第七十一 任蘇克

出自と英宗弑逆後の去就

  • 任蘇克は渤海の人。孝を尽くし、俠気に富み財を軽んじる性格で、右衛千戸を襲封し英宗に召見され重用されたが、特克実(テクシ)・都爾蘇(ドルジ)の陰謀により英宗が弑逆されると出仕をやめ、街で慟哭する日々を送った。

文宗擁立の密議

  • 泰定中(1324-1328年)都爾蘇の専政下、天変を機に平章政事蘇蘇(スス)と密議し、武宗の子である周王・懐王のうち近くにいる懐王を擁立する計画を立て、樞密院事雅克特穆爾(エルテムル)を説得して味方につけた。
  • 致和元年(1328年)泰定帝崩御後、都爾蘇が即位を長引かせる中、任蘇克・蘇蘇・雅克特穆爾らは豫王の令により8月4日に居守省臣を捕らえ、要衝を固め、江陵から懐王を迎立し文宗として即位させた。

晩年

  • 論功行賞で礼部尚書に擬されたが「南坡の変で殉じられなかった罪を諸将相の功に紛れさせるわけにはいかぬ」と辞退し、他の恩賞も一切受けなかった。長寧寺卿、安豊路総管、寿福府総管、都水使者を歴任し、擁立の功を誇ることなく謙譲を貫いたことが君子に称賛された。