元史卷一百七十四 列傳第六十一 劉賡
出自と歴任
- 劉賡、字は熙載、洺水の人。翰林学士王磐に師事し、至元13年(1276年)国史院編修官、至元16年(1279年)応奉翰林文字。徳州同知・太廟署丞・太常博士・監察御史を歴任し、御史中丞崔彧に厚遇された。大徳2年(1298年)翰林直学士、大徳7年(1303年)陝西宣撫使、至大2年(1309年)礼部尚書兼翰林学士。
国学での美風と晩年
- 侍御史・翰林学士承旨兼国子祭酒として、国学の伴読生の吏補選抜において、老親を持つ貧しい学生に順番を譲る風習を広め、六館の士人はこれを美徳とした。皇慶元年(1312年)集賢大学士兼国子祭酒、延祐年間に翰林学士承旨を重ねて務め、泰定元年(1324年)光禄大夫として尊号上呈の議に反対した。天暦元年(1328年)卒、享年81。文翰に長く携わり、大製作の多くを執筆した。