元史卷一百七十四 列傳第六十一 耶律有尚
許衡の高弟
- 耶律有尚、字は伯強、遼東丹王の十世孫。許衡の門下で高第弟子と称され、性理の学に通じ誠を本とした。至元8年(1271年)許衡が国子祭酒兼集賢大学士となった際、十二人の斎長の一人となった。至元10年(1273年)許衡辞任後は助教として学事を継ぎ、監察御史を辞退して秘書監丞・薊州知事を歴任した。
国学での教育と晩年
- 裕宗の東宮で詹事院長史、国子監創設(至元24年、1287年)に伴い国子祭酒に昇進し儒風を振興した。至元27年(1290年)親老により辞職、大徳改元後に再び国子祭酒。義理を本とし文詞の小技を排し、許衡の教えを厳格に継承したため「昔の許衡と並び宗とされた」という。前後五度国学を主宰し、年老いて帰郷後も朝廷から楮幣を賜り、卒年86、諡は文正。