元史卷一百七十二 列傳第五十九 鄧文原

出自と司法での功績

  • 鄧文原、字は善之、一字匪石、綿州の人。父の漳の代に銭塘に移った。至元27年(1290年)杭州路儒学正、大徳2年(1298年)崇徳州教授、大徳5年(1301年)応奉翰林文字、大徳9年(1305年)修撰。至大元年(1308年)復修撰・成宗実録の編纂に参与、皇慶元年(1312年)国子司業。
  • 延祐5年(1318年)江南浙西道粛政廉訪司事僉事として、平江の僧の冤罪を晴らし、呉興の殺人事件で真犯人を推理により見出して無実の福児を救い、桐廬の戴汝惟殺害事件でも妻とその弟の犯行を暴くなど、明察な裁きで知られた。

地方行政と晩年

  • 江東道徽・寧国・広徳三郡で茶課の重税による民の困窮を訴え、転運司の専断を批判して所轄を郡県に戻すよう請うたが認められなかった。至治2年(1322年)集賢直学士として弭災の道を議し、滞獄の解決や河北の備蓄を請うた。天暦元年(1328年)卒、享年71。
  • 内は厳しく外は寛容で、貧しくも清廉。かつて金を託されて客死した書生の遺産を、同居人に盗まれた後、自ら弁済して家族に届けた逸話がある。至正9年(1349年)江浙行省参知政事を贈られ、諡は文粛。