元史卷一百七十 列傳第五十七 髙源

出自と阿哈瑪特姻戚の助命

  • 高源は字を仲淵といい、晋州の人である。高祖の高揖は州の法吏として法を用いること公平であった。父の高汝霖は真定廉訪司照磨使であったが、東平道の高唐で盗に遭い死んだ。高源は幼くして力めて学び母に事えて孝であり県吏に補された。中統初、衛輝路知事に擢けられ、累々陞って斉河県尹となり遺愛を残して官を去り、10年後も民はなお碑を立てて頌えた。行台都事に遷り、江南浙西道提刑按察司事を僉し、常州路達嚕噶齊の馬恕が民田を奪うなどの不法を弾劾した。
  • 馬恕は懼れて権臣の阿哈瑪特に賄賂を送り、他事をもって高源を誣告した。高源が繋獄されると、ある日、忽ちに釈された。故ある由がなかったが、それより前、高源の隣里には阿哈瑪特の姻戚が多く、高源が母に孝であることを素より知っていたので、非辜に坐したと聞くとみな阿哈瑪特に詣で「源は孝子である、人はこれを知り天も必ずこれを知るだろう。まして罪をでっち上げるのはなおさら、もし妄りに源を殺せば天に悖り不祥です」と言った。阿哈瑪特は感悟し死なずに済んだ。まもなく河間等路都転運副使を除された。撫治には条があり、逃げていた竈戸はみな復業し、常賦の外の羨余は幾十万緡に上った。
  • 至元24年(1287年)、江東道勧農営田使となり、至元28年(1291年)、都水監に遷り、通恵河を開通させて文明門から東70里で会通河に接続させ、閘7・橋12を置いた。人々はその利を蒙った。同知湖南道宣慰司事を授かり、享年77で卒した。子は夢弼・良弼・公弼。