元史卷一百五十一 列傳第三十八 趙天錫

冠氏の防衛

  • 趙天錫、字は受之、冠氏の人。金末の混乱で父林保が冠氏の令となり、天錫は補修武校尉として仕官。太祖南下後、東平の厳実に帰属し上党攻略の功で冠氏令となる。彭義斌の乱で大名の元帥李全が降った際も動揺せず、博囉海の軍に従い義斌を破る功を立て、左副元帥同知大名路兵馬都総管事となった。李全残党の攻撃を三昼夜守り抜き撃退。宋討伐にも従軍し冠氏で没した。享年五十。子六人、賁亨が嗣いだ。
  • 賁亨、字は文甫。己未年世祖の渡江・鄂州攻略に従軍。至元五年(1268年)以降、襄樊攻略、白河新城修築、正陽城修築、鎮江・焦山の戦、江南平定など各地に功を重ね、宣武将軍を授かった。至元十四年(1277年)処州路総管府達嚕噶齊となり、青田県の反乱(李文龍の乱)鎮定では屠城を退け官府を立て直し、龍泉県の張三八の乱、衢州・遂昌の反乱も次々に平定して民心を安んじた。至元二十二年(1285年)冠氏に帰り没。享年五十七。