元史卷一百五十二 列傳第三十九 張晉亨

東平府政と包銀制の是正

  • 張晉亨、字は進卿、冀州南宮の人。兄顥が厳実に帰属し安武軍節度使となり戦没すると、戊寅年太師国王穆呼哩の制により晉亨がその爵を襲った。厳実に女を娶らせるほど信頼され、実の遠征に従い益都・恩州・安慶・光州・信陽・六安等の攻略に功を挙げた。
  • 実の没後、子忠済の下で東平府事を七年間治め、辛亥年憲宗の下で包銀制(一戸に銀六両の賦課)の強行を主張する諸道長吏に対し「民の利病を知りながら黙って承ればその責を負う、五方の土産に応じた賦課が民のためだ」と面責し、帝の前でも同様の主張を貫いて戸額の三分の一を蠲免させ、他物での代納を認める制度を定着させた。
  • 金虎符を辞退し璽書金符・恩州管民万戸を賜った。中統三年(1262年)李璮の乱で厳忠範に従い遥牆濼で勝利。至元四年(1267年)淄萊路総管、汴堤の屯田を建言して実現。至元十一年(1274年)宋討伐に「これぞ報効の秋」と応じ、丞相巴延の鎮江守備に従い焦山・瓜州の戦に功を挙げ、至元十三年(1276年)官途にて没。子好古。
  • 好古、字は信甫。父の軍を継ぎ樊城攻略で流矢を受けながら戦い続け賞賜を受けた。恩州刺史として民瘼を訪ね吏弊を改め、李璮の乱で宋軍の蘄州侵攻を迎撃し戦死。父晉亨は「吾が子は死に場所を得た」と語った。弟好義が跡を継ぎ江淮攻略に功を挙げた。