元史卷百四十三 列傳第三十 余闕

安慶籠城戦

  • 余闕、字は廷心、一字は天心。唐古氏、河西武威の家系で、父実喇卜蔵布は廬州に仕え廬州人となった。幼くして父を失い、教師をしながら母を養い、呉澄の弟子張恒と学んだ。元統元年(1333年)進士及第、同知泗州事として厳明な政治を行った。
  • 中書刑部主事を経て権貴に阿らず官を辞し、遼金宋三史編纂に加わり翰林修撰、監察御史、湖廣行省左右司郎中を歴任。莫猺蛮の反乱に対し右丞実保を説得して自ら出陣させ、糧秣を三日で調達させた。
  • 至正十三年(1353年)淮西の副使僉都元帥府事として安慶を守備。屯田策を実施し、飢饉には俸禄を投じて粥を施し、朝廷から鈔三万錠を得て賑済。石蕩湖の盗賊を討伐し防備を固めた。
  • 十七年(1357年)淮南行省右丞となり、小孤山を守っていた沔陽の陳友諒が安慶に迫ると、諸将と共に東西南の各門を防衛したが、十八年正月丙午、四面から攻められ城は陥落。余闕は自刎し、妻伊伯氏・子徳生・女福童も井戸に身を投げて死んだ。守臣韓建も殉じ、多くの民が城楼から身を投げて殉節し、名の知れた将士十八人も戦死した。
  • 議者は「兵乱以来の死節の臣は余闕と褚布哈が第一」と評した。経術に通じ五経に注釈を残し、文章・詩・篆隷にも優れた。大明が安慶を接収した後、皇帝はその忠を嘉し廟を建て祭祀を命じた。