序説――元朝礼楽の沿革
- 伝に言う、礼は天地の秩序、楽は天地の調和である。礼によって身を治め、楽によって心を治める。古の礼楽はひとえに人君自身の心身に根ざしていたので綱常を立て風俗を厚くする力があったが、後世の礼楽は担当の役人に委ねられるだけとなり、耳目を飾るに過ぎなくなった。これが後世の治世が古に及ばない理由である。
- 周公が成王を助けて制礼作楽し、教化が大いに行われたのが礼楽の頂点であった。秦は先代の典礼を廃し、漢は秦の制度を受け継いで朝儀・宗廟楽を作った。魏晋以後は五胡の擾乱で秦漢の制度も失われた。唐初は隋の礼を襲用し、太常が扱ったのは教坊の俗楽のみであった。宋は五代の衰えを承け、唐礼によって太常因革礼を作り、大晟楽という古雅を称する楽を製したが、靖康の変で礼文・楽器は掃蕩された。
- 元は朔漠に興り、朝会・燕饗の礼は多く本俗(モンゴルの旧俗)に従った。太祖元年、諸侯王をオノン河(鄂諾河)に大会し皇帝位に即き、九斿の白旗を建てた。世祖至元八年、劉秉忠・許衡に命じて朝儀を初めて制定させた。以後、即位・元正・天寿節・諸王外国の来朝・冊立皇后皇太子・尊号奉呈・太皇太后皇太后への冊宝進呈・郊廟礼成の朝賀は、いずれもこの朝会の儀に倣った。大宴・宗親への賜宴は本俗の礼を多く用いた。
- 楽については、太祖が西夏の旧楽を徴用し、太宗は金の太常の遺楽を燕京から徴し、憲宗のとき初めて登歌楽を用いて日月山で天を祀った。世祖は宋周臣に楽工を統轄させ、登歌楽で中書省にて祖宗を享った。王鏞に大成楽を作らせ、金の楽器を民間から括り集めた。至元三年、初めて宮懸・登歌・文武二舞を太廟に用い、烈祖から憲宗までの八室にすべて楽章を備えた。三十年に社稷楽章を撰し、成宗大徳年間に郊廟の曲舞を製し、宣聖廟楽章を改めて撰した。仁宗皇慶初年、太常に楽工の補充を命じ、楽制はようやく整った。おおむね祭祀には雅楽、朝会饗宴には燕楽を用い、雅俗を兼用したのである。
- 元の礼楽は古に照らせば議論の余地はあるが、朝儀が起こって以来、規模は厳粛広大で、人々は九重の大君の尊さを知り、楽声は雄偉宏大で一代の興王の気象を示した。その盛んなことは当時にあっても評判であった。今、書き残すべきものを取って禮樂志とする。
朝儀制定の経緯
- 世祖至元六年正月、太保劉秉忠・大司農博囉(ボロ)の奏により、趙秉温・史杠を前代の礼儀に通じた者に学ばせ朝儀を習わせた。秉忠は「二人だけでは行えない」と奏し、十人を用いる許しを得て、儒生の周鐸・劉允中・尚文・岳忱・関思義・侯祐賢・蕭琬・徐汝嘉、および亡金の故老烏庫哩居貞・完顔復昭・完顔従愈・葛従亮・于伯儀、さらに国子祭酒許衡・太常卿徐世隆を集め、古典を参照しつつ時宜にかなう制度を定め、百日かけて習わせた。
- 秉忠は「楽が無ければ礼が備わらない」と奏し、旧教坊の楽工(杖鼓の楊皓、笛の曹楫、前行の劉進、教師鄭忠ら)を捜し出し、律に依り譜を運して六か月で音楽を完成させた。万寿山便殿で帝の前に披露し、帝は喜んだ。
- 至元七年二月丙子、綿蕝(模擬の座次標識)を布いて金帳殿前で観礼を行い、帝・皇后が露階で臨観し、礼文・楽節に遺漏はなかった。同年十一月戊寅、秉忠らは朝儀を掌る官の設置を請い、尚書省で議定させた。八年二月、侍儀司を立て、呼図克約蘇(フトクヨス)・額森鼐爾(エセンナイル)を左右侍儀奉御、趙秉温を礼部侍郎兼侍儀司事、周鐸・劉允中を左右侍儀使、尚文・岳忱を左右直侍儀事、関思義・侯祐賢を左右侍儀副使、蕭琬・徐汝嘉を僉左右侍儀事、烏庫哩居貞を承奉班都知、完顔復昭を引進副使、葛従亮を侍儀署令、于伯儀を尚衣局大使に任じた。夏四月、侍儀司は歴代の故事に倣い内外の儀仗を製することを奏し許された。秋七月に完成し、八月の帝生日「天寿聖節」に朝儀を初めて用いた。
元正受朝儀(元日朝賀の儀)
- 三日前に聖寿万安寺(あるいは大興教寺)で儀を習い、二日前に殿庭に諸物を陳設する。当日未明、侍儀使が護衛を導いて寝殿前に至り、外の準備が整った旨を奏上すると、皇帝は輦に乗って出御し、鳴鞭三度、侍儀使・通事舎人が導いて大明殿に至る。皇后も同様に出御して大明殿東門外に至る。
- 両宮が殿に昇ると鳴鞭三度、殿前班の官が公服で入り起居(拝礼の挨拶)を行う。定型の唱和(鞠躬・拝・興・搢笏・三舞蹈・三叩頭・山呼・再山呼など)を経て「万歳」「万万歳」を唱える。丞相以下の百官も同様に起居し、拝舞・山呼を行う。
- 続いて丞相が進酒を行う。楽が奏され、丞相は御榻前で祝賛の詞(「あまねく天下、天地の洪福を祈り、皇帝皇后の億万歳の寿を上る」旨)を述べ、三度酒を進める。百官は再拝する。表章・礼物が読み上げられ、僧道・耆老・外国の使者も順に賀を献ずる。礼が終わると諸王宗親駙馬大臣を殿上に招いて宴を賜り、四品以上は殿上で、五品以下は日精・月華門下で酒を賜る。宴が終わると鳴鞭三度、駕は寝殿に戻る。
天寿聖節受朝儀・郊廟礼成受賀儀
皇帝即位受朝儀
- 三日前に万安寺で儀を習い、前日に闕前に宣詔の位を設ける。当日、皇太子が導かれて崇天門から大明殿に入り、諸王が国礼をもって皇帝を宝位に登らせる。鳴鞭三度、殿前班が起居し(拝礼は元正の朝儀に同じ)、后妃諸王駙馬が賀を献ずる。
- 中書省の参議四人が詔書を捧げて御前に進み跪いて詔文を奏し、典瑞使に授けて璽を押し、案に置いて闕前に運ぶ。文武百官は北向きに整列し、侍儀使が「制有り」と称し、班首が香案前で上香し、詔書を左司郎中が受けて木榻に登り、まず国語で、続いて漢語で宣読する。読み終えると百官が拝舞・山呼を行う。丞相以下が起居し、拝舞・祝頌・進酒・献表・賜宴はすべて元正受朝儀に同じ。宴が終わると翌日、詔を天下に頒行する。
群臣が皇帝に尊号を上る礼成受朝賀の儀
- 二日前、儀鸞司が大明門外に大次(休息所)を設け、殿内の御座前に進冊案・進宝案、御座上に受冊案・受宝案を設ける。侍儀司が冊使・冊副以下の位を庭中に配し、前日、右丞相が公卿・儀衛・音楽を率いて冊宝二案を中書省から闕前まで送り、大次に安置する。
- 当日未明、右丞相以下百官が集まり、皇帝・皇后が大明殿に昇る。殿前班の起居・山呼・拝舞のあと、皇太子・諸王・后妃・公主が順に昇殿する。鳴鞭三度、侍儀使が冊宝を導いて正門から入れ、奉冊使(右丞相ら)・奉宝使(御史大夫ら)がそれぞれ右門・左門から入り、香案・宝案の南に安置する。
- 冊使以下が就位し、百官が起居する。承奉班都知が「奉冊使以下上進」と唱え、冊使・宝官が進み、冊宝を御前の案に置く。挙冊官・読冊官・挙宝官・読宝官が順に冊・宝を捧げ、「臣某、謹んで冊(宝)を読む」と称して読み上げ、典瑞使に授ける。詔書も同様に読まれ、闕前の案に置かれて頒布される。冊使が退出し、班首が「冊宝の礼成る、願わくは皇帝皇后の万万歳の寿」と祝詞を述べ、進酒・進表章礼物・拝舞山呼・錫宴はすべて元正の儀に同じ。
皇后冊立の儀
- 二日前、儀鸞司が大明殿御座前に発冊宝案を、掌謁が皇后殿前に香案・冊案・宝案・受冊宝案を設ける。侍儀司が太尉・冊使副・冊官・宝官・礼儀使・主節の位を廷中に配し、皇后殿廷にも同様に設ける。
- 当日、太尉以下が公服で整列し、侍儀使・礼儀使が冊使・宝官を導いて月華門・日精門から入る。皇帝が出御して大明殿に昇り、殿前班の起居のあと、冊使以下が就位する。掌儀の唱和により、礼儀使が「皇后への冊宝発進を請う」と奏し、皇帝が捧冊宝官に冊宝を授ける。主節官が節を持ち、礼儀使が節を導いて露階に至り、「制有り、太尉某等に節を持たせ皇后に冊宝を授けしむ」と宣する。太尉以下は再拝し、冊宝は方輿で皇后宮庭に運ばれる。
- 皇后が出閤して褥位に至り、太尉が「制を奉じ、臣某等をして恭しく皇后に冊宝を授けしむ」と称する。上香・拝礼ののち皇后は昇殿し、太尉以下が冊宝を進める。挙冊官・読冊官・挙宝官・読宝官が順に読み上げ、太尉が冊宝を掌謁に授けて受冊宝案に置く。太尉が祝辞「冊宝の礼成る、伏して願わくは皇后天と算を同じくせんことを」を述べ、皇后に進酒する。礼儀使が節を導いて退き、太尉以下は皇帝の御前に戻って「制を奉じ皇后に冊宝を授く、謹んで礼を以て畢る」と復命する。皇后は大明殿前で謝恩し、丞相以下の起居・進酒・進表章礼物・大宴は元正の儀に同じ。
皇太子冊立の儀
- 三日前、右丞相が百僚を率いて金玉局の冊宝案前で上香の礼を行う。二日前、儀鸞司が大明殿御座西に発冊案、東に発宝案を、典宝官が太子殿前に香案・冊案・宝案・受冊宝案を設ける。侍儀司は太尉・冊使副・冊官・宝官・礼儀使・主節官の位を大明殿廷と太子殿廷の両方に配する。
- 前期二日、右丞相が百僚を率いて中書省の冊宝案前で上香し、儀衛・音楽とともに闕前に至り、冊宝を方輿で崇天門から運び入れ、露階下に置く。捧冊官・捧宝官が搢笏して冊宝を捧げ、大明殿の進発冊宝案前に安置する。
- 当日未明、皇帝が出御して起居礼を受けたのち、礼儀使が「皇太子への冊宝発進」を奏し、皇帝が捧冊宝官に冊宝を授ける。主節郎が節を持ち、礼儀使が導いて露階に至り「上、太尉等に節を持たせ皇太子に冊宝を授けしむ」と宣する。冊宝は方輿で皇太子殿廷に運ばれる。
- 右庶子が「外の準備が整った」と奏すると皇太子は出閤して香案前に立ち、上香・拝礼ののち、太尉が「制を奉じ臣某等をして恭しく皇太子に冊宝を授けしむ」と称する。皇太子は褥位で冊宝を受け、挙冊官・読冊官・挙宝官・読宝官が順に読み上げる。太尉・司徒が冊宝を進め、皇太子は左右庶子に授けて自ら受け取り、殿内の授冊案・受宝案に安置される。太尉以下は退いて再拝し、進酒ののち皇帝の御前に復命する。皇太子は大明殿前で謝恩し、府に還る。丞相以下・百官の起居・進酒・進表章礼物は元正の儀に準ずる。
太皇太后への尊号進冊宝の儀
- 二日前、儀鸞司が大明殿御座前に進発冊宝案、掌謁が太皇太后殿の座榻前に進冊宝案・受冊宝案を設ける。侍儀使が冊使副・冊官・宝官・礼儀使の位を廷中に配し、太皇太后殿廷にも同様に設ける。
- 当日、群臣が公服で整列し、侍儀使・礼儀使が冊使・宝官を月華門・日精門から導き入れる。皇帝が出御して大明殿に昇り、冊使以下が東階から昇り御榻前で「中厳」を奏し、礼儀使が「太皇太后への冊宝発進を請う」と奏する。皇帝が冊使に冊を、冊副に宝を授け、冊使・宝官は正門から出て階下に冊宝を安置する。方輿で興聖宮の太皇太后寝殿前に運ばれ、太皇太后は出御して昇殿する。皇帝も興聖宮に至り、太尉以下が冊宝を進めて読み上げ、太尉・司徒が皇帝に冊宝を渡すと、皇帝自ら太皇太后に冊宝を授ける。太皇太后はこれを内掌謁に授けて案に置く。皇帝が進酒し、太皇太后は觴を挙げて飲む。皇帝は皇后・后妃・公主を率いて丹墀に降り北面して拝賀し、皇太子・諸王も拝賀する。百官の起居・進酒・祝賛(「冊宝の礼成る、太皇太后・皇帝の億万歳の寿を願う」)以下は元正の儀に同じ。
皇太后への尊号進冊宝の儀・太皇太后への加尊号進冊宝の儀
冊宝進発の儀仗(進発冊宝導従)
- 清道官・警蹕各二人が左右に分かれ、雲和楽一部(署令二人、戯竹一・排簫四・簫管四・板二・歌四など)が前導する。琵琶二十・箏十六・箜篌十六・&KR0793;十六・方響八・頭管二十八・龍笛二十八(各四人ずつ三十三重)・杖鼓三十・板八の楽工が続き、法物庫使二人、朱団扇・小雉扇・中雉扇・大雉扇(それぞれ複数重)、大傘・華蓋・紫方傘・紅方傘・曲蓋などの儀仗が並ぶ。
- 続いて囲子頭一人・囲子八人、安和楽一部(署令二人、札鼓六、和鼓一、板二、龍笛四、頭管四、羌管二、笙二、雲璈一、&KR0793;二など)、傘一、拱衛使一人、舎人二人・引宝官二人、香案・表案・寶案の輿士(控鶴八人・十六人など)、方輿官三十人が続く。
- さらに葆蓋四十人、閲仗舎人二人、小㦸四十人、儀鍠四十人、拱衛使二人、班剣十・梧杖十二・斧十二・鐙杖二十・列絲十など多数の儀仗器物を持つ者が並び、金吾折衝二人・牙門旗二・青矟四十人赤矟四十人黄矟四十人白矟四十人紫矟四十人が甲冑姿で色ごとに整列する。冊案の後には舎人二人、太尉・司徒、礼儀使二人、挙冊官四人(右)・挙宝官四人(左)、読冊官二人(右)・読宝官二人(左)、閤門使四人が続き、知班六人が儀礼の失を監督して罰する。
冊宝の摂官
- 上尊号冊宝の摂官は総勢二百十六人。奉冊官四人・奉宝官四人・捧冊官二人・捧宝官二人・読冊官二人・読宝官二人・引冊官五人・引宝官五人・典瑞官三人・糾儀官四人・殿中侍御史二人・監察御史四人・閤門使三人・清道官四人・点試儀衛五人・司香四人・備顧問七人・代礼官三十人・拱衛使二人・押仗二人・方輿百六十人からなる。
- 上皇太后冊宝の摂官は総勢百五十人。摂太尉一人・摂司徒一人・礼儀使四人・奉冊官二人・奉宝官二人・引冊官二人・引宝官二人・挙冊官二人・挙宝官二人・読冊官二人・読宝官二人・捧冊官二人・捧宝官二人・奏中厳一人・主当内侍十人・閤門使六人・充内臣十三人・糾儀官四人・代礼官四十二人・掌謁四人・司香十二人・折衝都尉二人・拱衛使二人・清道官四人・警蹕官四人・方輿官百二十人からなる。太皇太后への冊宝の摂官も同じ構成である。
- 皇后への冊宝授与の摂官は総勢百八十人。摂太尉一人・摂司徒一人・主節官二人・礼儀使四人・奉冊官二人・奉宝官二人・引冊官二人・引賛官二人・挙冊官二人・挙宝官二人・読冊官二人・読宝官二人・内臣職掌十人・宣徽使二人・閤門使四人・代礼官三十七人・侍香二人・清道官四人・折衝都尉二人・警蹕官四人・中宮内臣九人・糾儀官四人・接冊内臣二人・接宝内臣二人・方輿官七十四人からなる。
- 皇太子への冊授与の摂官は原文では四十九人とする。摂太尉一人・奉冊官二人・持節官一人・捧冊官二人・読冊官二人・引冊官二人・摂礼儀使二人・主当内侍六人・副持節官五人・侍従官十一人・代礼官十六人からなる。
攝行告廟の儀
- 尊号を上る、太皇太后・皇太后への冊宝進呈、皇后・皇太子の冊立など国家の大典礼はすべて宗廟に告げる。二日前、太廟令が廟の内外を掃除し、翰林国史院の学士が祝文を撰する。前日、告官らは斎戒し、紫服で祝版を捧げて御署を請い、控鶴が紅羅銷金の案に載せて黄羅の帕で覆い、御香御酒とともに祝所に迎えて斎宿する。
- 告祭当日未明、礼直官が太廟令を率いて殿室を開き陳設し、告官らが紫服で入って就位する。盥洗・洗爵ののち酒尊所に至り、太祖室に再拝して上香・祭酒し、祝官が祝版を対挙し読祝官が祝文を読む。各室ごとに同様の儀を行い、終わると望瘞(祝を燎く場)に至って再拝し、半ば焼いたところで告官以下は退く。
国史院が先朝の実録を進呈する儀
- 当日未明、諸司の官が公服で光天門外に立つ。侍儀使が実録の案を導き入れ、監修国史以下がこれに従って光天殿前に至り分班して立つ。皇帝が御座に昇ると起居礼が行われ、待制四人が実録を捧げて午階を昇り、監修国史以下がこれに従って御前の香案の南に立つ。応奉翰林文字が実録の前で表を読み上げ、翰林学士承旨が御前で分班して立ち、皇帝の御覧を俟つ。監修国史以下は再拝し、待制が実録を取って午階を降り、案に置いて光天門から出る。音楽・儀従の先導で国史院に還し堂上に安置する。上香などの礼を終えて百官は退く。