水不潤下
- 元統元年(1333年)5月、汴梁陽武県で河水が氾濫し農作物を損なった。6月、京畿一帯で大雨が続き平地の水深一丈余、涇河が氾濫して関中で水害、黄河も大氾濫して河南で水害となった。泉州でも豪雨で渓水が暴漲し民家数百戸が流失、7月には潮州属県で大水となった。
- 元統2年(1334年)正月、東平・須城県・済南・済州・曹州・済陰県で水害。2月、灤河・漆河が氾濫し永平路属県はみな水害、瑞州路も水害。3月、山東で豪雨により水が湧いた。4月、東平・益都で水害。5月、鎮江路が水害、宣徳府で大水。6月、淮河が氾濫し山陽県境内の民家・家畜が被害。9月、吉安路で水害。
- 至元元年(1335年)、河が汴梁封丘県で決壊した。
- 至元2年(1336年)5月、南陽鄧州で大水。6月、涇水が氾濫。8月、大都から通州にかけて豪雨・大水となった。
- 至元3年(1337年)2月、紹興で大水。5月、広西賀州で大水(農作物を損なう)。6月、衛輝で長雨。7月、丹水・沁水の二河が氾濫し城西の御河と合流、水深二丈余に達し人民・家屋・田を多数流失、民は樹上に避難、太守僧嘉努が船で食糧を運び老幼を城頭に移し月余で水が引いた。汴梁蘭陽・尉氏二県と帰徳府もみな黄河氾濫、黄州および衢州常山県も大水となった。
- 至元4年(1338年)5月、吉安永豊県で大水。6月、邵武で大水、市街がほぼ全て流失した。
- 至元5年(1339年)5月庚戌、汀州長汀県で大水、水深三丈余に達し民家800戸・田200頃が損壊し溺死者8000余人。7月、沂州の沂水・沭水二河が氾濫し堤防決壊、邵武光沢県で大水、常州宜興県では山水が高さ一丈で噴出し民家が倒壊した。
- 至元6年(1340年)2月、京畿五州十一県および福州路福寧州で大水。5月甲子、慶元奉化州で山崩れ・水湧出、平地で溺死者多数。6月、衢州西安・龍游二県で大水。庚戌、処州松陽・龍泉二県で豪雨により城内水深一丈余、溺死500余人、遂昌県は特に甚だしく平地水深三丈余、桃源郷では山崩れで民家53戸が圧死し死者360余人。7月壬子、延平南平県で豪雨、溺死100余人、民家300余戸・田270余畝が損壊。乙卯、奉元路盩厔県で河水が氾濫。8月甲午、衛輝で大水、民家1000余戸が流失。10月、河南府宜陽県で大水、民家流失・溺死者多数。
- 至正元年(1341年)、汴梁・鈞州で大水、揚州路崇明・通泰等州では海潮が氾濫し溺死1600余人。
- 至正2年(1342年)4月、睢州儀封県で大水(農作物を損なう)。6月癸丑夜、済南で山水が噴出し東西二関を貫通し小清河に流入、黒山・天麻・石固等の塞および臥龍山の水も大清河へ流入し上下の民家1000余戸が流失、溺死者数知れず。
- 至正3年(1343年)2月、鞏昌・寧遠・伏羌・成紀三県で山崩れ・水湧出、溺死者数知れず。5月、黄河が白茅口で決壊。7月、汴梁中牟・扶溝・尉氏・洧川四県、鄭州滎陽・汜水・河陰三県で大水。
- 至正4年(1344年)5月、覇州で大水。6月、河南鞏県で豪雨、伊洛水が氾濫し民家数百戸が流失、済寧路兖州・汴梁鄢陵・通許・陳留・臨潁等県で大水(農作物を損ない、人が人を食う事態となった)。7月、灤河が氾濫し平地水深一丈余、永平路の農作物・家屋が多数流失、東平路東阿・陽穀・汶上・平陰四県、衢州西安県で大水、温州では颶風が起こり海水が氾濫し民家流失・溺死者多数。
- 至正5年(1345年)7月、河が済陰で決壊し官民の亭舎がほぼ全滅。10月、黄河が氾濫。
- 至正7年(1347年)5月、黄州で大水。8月壬午、杭州上海浦で潮が正午に一旦退いて再び来た。
- 至正8年(1348年)正月辛亥、河が決壊し済寧路が水没。4月、平江・松江で大水。5月庚子、広西で山崩れ・水湧出、灕江が氾濫し平地水深二丈余、家屋・人畜が流失。壬子、宝慶で大水。乙卯、銭塘江の潮が例年より数丈高くなり沿河の民が避難のため移住した。6月己丑、中興路松滋県で豪雨、水深一丈五尺余に達し60余里が流失、死者1500人。この月膠州で大水。7月、高密県で大水。
- 至正9年(1349年)7月、中興路公安・石首・潜江・監利等県および沔陽府で大水、夏秋には蘄州で大水(農作物を傷める)。
- 至正10年(1350年)5月、龍興瑞州で大水。6月乙未、霍州霊巌県で豪雨、堤堰が決壊し民家多数流失。7月、汾州平遥県で汾水が氾濫、静江荔浦県で大水(農作物を損なう)。
- 至正11年(1351年)夏、龍興南昌・新建二県で大水、安慶桐城県で豪雨、花崖・龍源二山が崩れ県東の大河が決壊し民家400余戸が流失。7月、冀寧路平晋・文水二県で大水、汾河が氾濫し東西両岸の田禾数百頃が流失、河が帰徳府永城県で決壊し黄陵岡の堤防が壊れ、静江路でも大水で南北二陡渠が決壊した。
- 至正12年(1352年)6月、中興路松滋県で豪雨、水深一丈余、民家1000余戸が流失し溺死700人。7月、衢州西安県で大水。
- 至正13年(1353年)夏、薊州豊潤・玉田・遵化・平谷四県で大水。7月丁卯、泉州で海水が一日に三度潮を打った。
- 至正14年(1354年)6月、河南府鞏県で豪雨、伊洛水が氾濫し民家流失・溺死300余人。秋、薊州で大水。
- 至正15年(1355年)6月、荊州で大水。
- 至正16年(1356年)、河が鄭州河陰県で決壊し官署民家がほぼ全滅、水流が本流化した。山東でも大水。
- 至正17年(1357年)6月、暑雨により漳河が氾濫し広平郡邑がみな水害となった。秋、薊州四県がみな大水。
- 至正18年(1358年)秋、京師・薊州・広東恵州・広西四県・賀州がみな大水。
- 至正19年(1359年)9月、済州任城県で河が決壊。
- 至正20年(1360年)7月、通州で大水。
- 至正22年(1362年)3月、邵武光沢県で大水。
- 至正23年(1363年)、孟州済源・温県で水害。7月、河が東平夀張県で決壊し城壁が崩壊、溺死者多数。
- 至正24年(1364年)3月、益都県で井水が氾濫し、懐慶路孟州河内・武陟県も水害。7月、益都路夀光県・膠州高密県で水害。
- 至正25年(1365年)秋、薊州で大水、東平須城・東阿・平陰三県では河が小流口で決壊し清河に達し民家・農作物が損なわれた。
- 至正26年(1366年)2月、河北で河道が東明・曹・濮から済寧まで移り被害。6月、河南府で豪雨、瀍水が氾濫し水深四丈余、東関の民家数百戸が流失。秋7月、汾州介休県で汾水が氾濫、薊州四県・衛輝・汴梁・鈞州で大水(農作物を損なう)。8月、棣州で大清河が決壊し濱州・棣州境界の民家が全て流失、済寧路肥城県では黄水が氾濫し民家・農作物の被害が百余里に及び、徳州斉河県境70余里も同様だった。
- 至正20年11月、汴梁原武・滎沢二県で黄河が三日間清く澄んだ。至正21年11月、河南孟津県から絳州垣曲県まで200里にわたり黄河が七日間清く澄み、新安県も同様だった。12月、冀寧路石州の河水も清くなり翌年春の氷解までそのままだった。至正24年夏、衛輝路の黄河が清く澄んだ。
- 至正6年9月、彰徳で雨雪が凍って琉璃のようになった。7年8月、衛輝で霜が降り農作物を損なった。9年3月、温州で大雪。10年春、彰徳で清明節近くに大寒となり雨雪三尺、民の多くが凍死した。11年3月、汴梁路鈞州で雷雨雪、密県で平地積雪三尺余。13年秋、邵武光沢県で霜、桑を損なった。23年3月、東平路須城・東阿・陽穀三県で霜、桑・蚕が損なわれた。8月、鈞州密県で霜、豆を損なった。27年3月、彰徳で大雪となり冬より寒く民の多くが凍死。5月辛巳、大同で霜、麦を損なった。冀寧路徐溝・介休二県で雨雪。12月、奉元路咸寧県の井戸水が凍った。28年4月、奉元で霜、豆を損なった。
- 元統元年3月戊子、紹興蕭山県で大風雨雹、木を抜き屋を壊し麻麦を損ない人民に死傷者が出た。2年2月甲子、塞北東凉亭で雨雹。至元元年7月、西和州・徽州で雨雹。2年8月甲戌朔、高郵宝応県で大雨雹、当時淮浙一帯は旱魃だったがこの県だけ河沿いの田が実り、雹害を免れた旱地の田は一つもなかった。4年4月癸巳、清州八里塘で雨雹、拳より大きく亀・小児・獅子象・環玦のような形のものや、卵形・玲瓏な孔のあるものなど、白く堅く長いものは老人も見たことがあると言うが、これほど奇怪な形は未曾有だった。
- 至正2年5月、東平路東阿県で雨雹、大きいものは馬の頭ほど。3年6月、東平陽穀県で雨雹。6年2月辛未、興国路で雨雹、大きいものは馬頭大、小さいものは鶏卵大、家畜が多数斃れた。5月辛卯、絳州で雨雹、大きいもの二尺余。8年4月庚辰、鈞州密県で雨雹、鶏卵大で麦を損ない、龍興奉新県でも大雨雹で稲・樹木を損なった。8月己卯、益都臨淄県で雨雹、盃ほどの大きさで野に青草なく赤地のようだった。9年2月、龍興で大雨雹。10年5月、汾州平遥県で雨雹。11年4月乙巳、彰徳で雨雹、斧ほどの大きさで麦の刈入れ間近だったが一瞬で失われ、場は堅く固まって稭も残らず、被害範囲は広さ30里長さ100余里に及び樹木は斧で切られたようになり通行人・家畜にも被害が出た。5月癸丑、文水県で雨雹。13年4月、益都高苑県で雨雹、麦・桑を損なった。14年6月、薊州で雨雹。17年4月、済南で大風雨雹。19年4月、莒州蒙陰県で雨雹。5月、通州・益都臨朐県で雨雹(農作物を損なう)。20年5月、薊州遵化県で終日雨雹。21年5月、東平で雨雹(農作物を損なう)。22年8月、南雄で雨雹、桃李の実ほどの大きさ。23年5月、鄜州宜君県で雨雹、鶏卵大で豆麦を損なった。7月、京師・隰州永和県で大雨雹(農作物を損なう)。25年5月、東昌聊城県で雨雹、大きいものは拳大、小さいものは鶏卵大で二毛作の麦が実らなかった。26年6月、汾州平遥県で雨雹。27年2月乙丑、永州城内が昼間暗くなり鶏が塒に戻り人々が灯りをつけて食事をした後、大雨雹となりしばらくして明るくなった。5月、益都で大雷雨雹。7月、冀寧徐溝県で大風雨雹、木を抜き農作物を損なった。28年6月、慶陽府で雨雹、大きいものは盂大、小さいものは弾丸大、平地に一尺余積もり苗を殺し禽獣を斃した。
- 至正3年秋、興国路永興県で雷が糧房の書記尹章を撃ち殺した。当時大旱で、その背に朱書きで「旱ありて無しと言い、災いありて無しと言う。未だその渠魁を誅せず」とあり、庭前の小吏も撃たれた。7年5月庚戌、台州路黄巌州の海辺で雲がないのに雷が鳴り、冬には衛輝路で天鼓が鳴った。10年6月戊申、広西臨桂県で雲がないのに雷が鳴り、邑民廖広達が雷に打たれ死亡。12月庚子、汾州孝義県で雷雨。11年12月、台州で大雨・震電。12年3月丙午、寧国路で雲がないのに雷。13年12月庚戌、京師で雲がないのに雷が鳴り、少し経って東南に火が墜ちた。懐慶路河内県および河南府では西北で天鼓が鳴り、同日懐慶の修武・潞州の襄垣県でも雲なく雷が天地を震わせ、この月汾州でも雷雨があった。14年12月、孝義県で雷雨。19年12月、台州で大雷電。21年11月戊申、温州楽清県で雷。27年正月乙未夜、晋寧路絳州で天鼓が空中に鳴り戦闘の音のようだった。10月、奉元路で雷電。
- 至正25年6月戊申、京師で大雨とともに魚が降り長さ一尺ほど、人々が拾って食べた。
- 至元5年6月庚戌、汀州長汀県で山蛟が出現、大雨とともに平地の水深三丈余、民家800余戸が流失、田200余頃が損壊した。至正17年6月癸酉、温州で龍が楽清江中で争い颶風が起こり、光る球のようなものが至る所に現れ死者1万余人。8月癸丑、祥符県西北で青白二匹の龍が争うように見えしばらくして散った。23年正月甲辰、広西貴州の江中に物が上陸、蛇の頭・四足・青色、長さ四尺余で、軍民が集まりこれを殺した。24年6月、保徳州の咸寧井中に黄龍が現れた。27年6月丁巳、皇太子の寝殿の新しい井戸から龍が出現し光炎が人を焼き、宮人が驚いて倒れた。また宮壁外の長慶寺が管理する成宗鄂爾多内の大槐樹に龍が巻きつき、しばらくして飛び去り樹皮が剥がれた。7月、益都臨朐県の龍山で龍が現れ、千斤の巨石が空中に浮き上がった。28年11月、大同路懐仁県の河岸が崩れ、大小の蛇が絡み合い数台の車に載せられるほどだった。
- 至正3年秋、建寧浦城県の民家で豚が二尾八足の子を生んだ。15年、鎮江の民家で豚が象のような子を生んだ。24年正月、保徳州の民家で豚が一頭二身八蹄二尾の子を生んだ。
- 至元元年正月、広西師宗州で妻が一度に三男を出産。汴梁祥符県市中の乞食婦人が突然ひげを生やした。至正9年4月、棗陽の民張氏の妻が男児を出産、一歳で身長四尺余、容貌異常で腹が膨れ、人を見ると布袋和尚のように笑った。23年5月、覇州の民王馬駒の妻趙氏が一度に三男を出産。6月、亳州家務の李閏の妻張氏が一度に三男を出産。
- 至正元年4月戊寅、彰徳で西北から赤風が来て黒く変じ昼が夜のように暗くなった。13年冬、袁州路で毎日夕暮れに黒気が郡城を取り巻いた。17年正月己丑、杭州で黒い雨が降り河や池の水も黒くなった。28年7月乙亥、京師で黒霧が立ち込め昼でも人物が見分けられず、旦から昼近くまで15日間続いた。
火不炎上
- 元統元年6月甲申、杭州で火災。至正元年4月辛卯、台州で火災。乙未、杭州で火災、官舎・民家・公廨・寺観合わせて15700余間が焼失、死者74人。2年4月、杭州でまた火災。6年8月己巳、延平路で火災、官舎・民家800余区が焼失、死者5人。10年、興国路で春から夏にかけて連日火災が起こった。20年、恵州路の城中でしばしば火災。23年正月乙卯夜、広西貴州で火災、同知州事韓特穆爾布哈・判官高万章および家人9口が全員死亡、住民の死者300余人、牛50頭・馬9匹、公署・倉庫・案牘(書類)が全焼した。28年2月癸卯、京師の武器庫が火災。己巳、陝西で華山下から飛火が張良弼の陣営に流れ込み兵庫・武器を焼いた。6月甲寅、大都の大聖寿万安寺が火災、当日未の刻に雷雨があり火が空から落ち、殿脊東の鰲魚口から炎が出て仏身にも火が燃え移った。帝はこれを聞いて涙し百官に救護を命じたが、東西二つの影堂の神主と宝玩器物のみ免れ他は全て焼失した。この寺は旧名を白塔といい世祖以来百官の習儀の場で、殿の陛欄楯は内庭と同じ制であった。成宗の時に世祖の影堂を殿の西に、裕宗の影堂を殿の東に置き、大臣が月ごとに祭を行っていた。
- 至元6年冬、京師で雪が降らなかった。至正8年9月、奉元路で桃・杏の花が咲いた。14年8月、冀寧路楡次県で桃李の花が咲いた。15年11月、汾州介休県で桃杏の花。17年11月、汾州で桃杏の花。
- 至正11年10月、衢州東北でキビのような黒い米が降った。11月、建寧浦城県で稗のような黒い実が降り、邵武では雷雨とともに蘆穄のような黒黍が降った。信州でも黒黍が降り、鄱陽県では豆が降り、郡邑の民が拾って食べた。16年6月、彰徳路で葦の葉が旗のように積み重なって生え、上が尖り槍のように粘り合い、民謡に「葦生りて旗を成せば民は流離し、葦生りて槍を成せば殺伐して殃に遭う」とあり、また黍が自然に生えて赤い茎に黒字で上の節には「天下太平」、下の節には「天下刀兵」の文字が現れた。18年、処州の山谷で小竹が小麦のような実をつけ、飢民が採って食べた。21年、明州象山県で竹の穂に小米のような実がなり食べられた。
- 至正11年、広西慶遠府で異鳥の番いが述昆郷に飛来し千百の鳥が従った、鳳凰と言われ、一羽は飛び去り一羽は留まって獞人に射殺された、頭は尺余、毛羽は五色で献上され久しく色鮮やかなままだった。5月、興国で大鳥百余羽が郡西の白朗山頂に飛来し、人のように立っては去り戻ることを数度繰り返した。19年、京師で鴟鴞が夜通し鳴き続け数ヶ月止まず、杜鵑も城中や居庸関で鳴いた。27年3月丁丑朔、萊州招遠県大社里で黒風が起こり、大鳥が南から飛来、色は蒼白で羽を広げると席のよう、鶴に似て、しばらくして飛び去り粟・黍・稲・麦・黄黒豆・蕎麦を張家の屋根に数升落とし、この年は豊作となった。
- 元統2年正月庚寅朔、河南省で血の雨が降った。この日朝集まった官員が薪を燃やす匂いを嗅ぎ、黒霧が四方に立ち込め臭く、しばらくして治まり、儀式が終わり正午過ぎに驟雨があり衣服が赤く染まった。至元4年4月辛未、京師で赤い砂の雨が降り昼が暗くなった。至正5年4月、鎮江丹陽県で紅霧の雨が降り、草木の葉や人の衣服が紅色に染まった。13年3月丙戌、彰徳路西南で天から火が下るように見えたが城外を探しても何もなかった。12月庚戌、潞州襄垣県で東南に火が墜ちた。14年、衛輝路の西方に天光が見えた。12月辛卯、絳州で北方に紅気が起こり天をほぼ半分覆いしばらくして散った。15年春、薊州で血の雨。18年3月辛丑夜、大同路で西方に黒気が立ち込め雷のような音がし、火のような雲が交射し中天から地に至るまで火光が見え、物に触れると火が起こり、夜半まで兵器が打ち合う音のようだった。21年7月己巳、冀寧路忻州西北で赤気が空を血のように覆いしばらくして散った。8月壬午、棣州で夜半に赤風が西北から東北に渡って起こった。癸未、彰徳西北で夜に紅気が天に渡り明け方まで続いた。乙酉、大同路の北方で夜に赤気が天を覆い天庭を通過し東から西へしばらく移動し、三度同様だった。10月癸巳昧爽、絳州で北方に紅気が火のように見えた。23年3月壬戌、大同路で夜に赤気が天を貫き北斗を侵した。6月丁巳、絳州で日暮れに北方に紅光が火のように見え中に黒気が混じり、白虹二本が北斗を貫きしばらくして散った。庚申、晋寧路で日暮れに北方の天が赤くなり、中に白気の虹三本、一本は北斗、一本は北極、一本は天潢を貫き夜分に消えた。8月丙辰、忻州東北で夜に赤気が天を貫き白色の蛇の形がゆっくり動きしばらくして散った。10月丙申朔、大名路から青斉方面に赤気が千里を照らした。24年9月癸酉、冀寧平晋県西北で夜に天が赤くなりしばらくして東から散った。28年6月壬寅、彰徳路の天寧寺塔が突然赤く変わり頂上から底まで透き通り鍛えた鉄が炉から出たようで、頂上に光炎が迸り二更から五更まで続いた、癸卯・甲辰も同様。以前河北で童謡に「塔が黒ければ北人が主となり南人は客、塔が赤ければ朱衣の人が主人公となる」とあった。7月癸酉、京師で赤気が天を満たし火のように人を照らし寅から辰まで続いた。
- 至元元年12月、荊門州当陽県覆船山で芝草(霊芝)が生じ、一本は五本の茎で高さ一尺二寸、一本は二本の茎で高さ五寸半、茎はみな二股に分かれ二本が寄り添い珊瑚の枝のように奇妙で、高い方は華蓋・慶雲の形をしていた。5年秋、中書工部の屋根の梁に芝草が生じ一本七茎だった。
木不曲直
- 至元5年11月癸酉、瑞州路新昌州で木に氷雨が凍りつき、翌年2月壬寅に氷が解けた。至正4年正月、汴梁路鄭州・尉氏・洧川・河陰三県および龍興靖安県で雨木氷。11月、東平で雨木氷。12年9月壬午、冀寧保徳州で雨木氷。14年冬、龍興で雨木氷。25年2月辛亥、汴梁で雨木氷、楼閣・人物・冠帯・鳥獣花卉のような形が数多く現れ、羽飾りや宝珠の飾りのように広がり五日で解けた。
- 至正3年夏、上都・大都で桑や果樹の葉に黄色の龍紋が現れた。9年秋、奉元で桃杏が実をつけた。12年5月、汴梁祥符県で椿の木に瓜のような実がなった。16年7月、彰徳で李の木に小さい黄瓜のような実がなり、民謡に「李生りて黄瓜を成せば民はみな家を無くす」とあった。21年、明州で松の木に一尺余の大きさの実がなった。8月、汴梁祥符県で邑中の樹木が一夜にして泥が塗られたようになった。
- 至元2年5月乙卯、南陽鄧州で豪雨が始まり6月甲申まで続いた。3年6月、衛輝路で長雨。至正2年秋、彰徳路で長雨。3年4月から7月まで、汴梁路滎沢県・鈞州新鄭・密県で長雨(農作物を損なう)。4年夏、汴梁蘭陽県・許州長葛・郾城・襄城・雎州・帰徳府・亳州鹿邑・済寧虞城で長雨、蚕・麦・禾がみな実らなかった。8月、益都で長雨、飢民に人肉を食う者も出た。5年夏秋、汴梁祥符・尉氏・洧川・鄭州・鈞州・亳州で長雨(麦・禾・豆が実らず)、河間路でも長雨となり塩の課税に支障が出た。8年5月、京師で豪雨、都城が崩壊、鈞州新鄭県で長雨(麦を損なう)。9年7月、高唐州で大豪雨、官署・民家が倒壊、帰徳府では長雨が70日間続いた。10年2月、彰徳路で大雨(麦を損なう)。20年7月、益都高苑県・陜州黽池県で大雨(農作物を損なう)。23年7月、懐慶路河内・修武・武陟三県・孟州で長雨(農作物を損なう)。24年秋、密州安丘県で大雨。25年秋、密州安丘県・潞州・汴梁・許州・鈞州密県で長雨(農作物を損なう)。27年秋、彰徳路で長雨。
- 至正6年8月、龍興進賢県に甘露が降った。20年10月、国子学大成殿の松柏の木に甘露が降った。
- 至正10年春、麗正門楼の斗栱の中に人が潜んでいるのが見つかり、どこから来たか分からず遠近の人々が集まって見た。門番が留守に報告し都堂に上聞、法司に取り調べを命じたが「薊州の人」と言うのみで姓名・出所を尋ねても呆然として答えられず、ただ禍福を語るのみで、規則違反の罪で鞭打ったところ忽然と姿を消した。
- 至正20年8月、慶陽・延安・寧安等州で野鼠が農作物を食い荒らした。初めウズラの卵から化生し牝牡となって生育し、百畝の田を一晩で食い尽くした。26年、泗州の淮河沿岸両岸に灰黒色の鼠が夜に群れをなして穴から出て地を覆い禾を食った。
金不從革
- 至正10年正月甲戌、棣州で昼間空中に音がして西北から来て州から20里の地に落下、化して石となり色は黒く微かに金星が散らばっていた。有司が献上し司天監に蔵した。11月冬至夜、陝西耀州で星が西原に墜落、光耀が地を照らし雷鳴のような音が三度、化して石となり形は斧のよう、一面は鉄のよう一面は錫のようで、削ると屑が出て打つと音がした。16年冬11月、大名路大名県で星が火のように東南から流れ尾を引き地に墜落、化して石となり青黒く光り狗の頭のような形、断面は新しく割ったようで、有司が献上し太史が検分して「天狗」と言い庫に蔵した。19年4月己丑、建寧路甌寧県で星が営山前に墜落、雷のような音がし化して石となった。23年6月庚戌、益都臨朐県龍山で星が地に墜落、掘ると深さ五尺で磚のような石があり、褐色で銀のような星模様があったが砕けて不完全だった。
- 至正9年、龍興靖安県で山石が裂けて水が湧き出し多数が死亡した。10年3月、慶元奉化州南山で石が「笑い開く」ように割れ、大きい破片には山川・人物・禽鳥・草木の模様があった。27年6月丁卯、沂州東蒼山で家ほどの巨石が崩れ落ち雷のような音がした。7月丙戌、広西霊川県臨江の石崖が崩れた。
- 元統元年夏、紹興で旱、4月から7月まで雨降らず、淮東淮西も旱となった。2年3月、湖広で旱、この月から8月まで雨降らず。4月、河南で旱、この月から8月まで雨降らず。秋、南康で旱。至元元年夏、河南・邵武で大旱。2年、蘄州・黄州・浙東衢州・婺州・紹興・江東信州・江西瑞州等路および陝西がみな旱となり、4月には黄州黄岡県の周氏の妻が犬頭人身の子を産みすぐ死んだが、皆これを旱魃の兆しとした。6年夏、広東南雄路で旱、2月から5月まで種が土に入らなかった。至正2年、彰徳・大同二郡および冀寧平晋・楡次・徐溝県・汾州孝義県・沂州がみな大旱、春から秋まで雨降らず人が人を食った。秋、衛輝で大旱。3年秋、興国で大旱。4年、福州で大旱、3月から8月まで雨降らず、興化・邵武・鎮江および湖南桂陽がみな旱となった。5年、曹州禹城県で大旱、夏、膠州高密県で旱。6年、鎮江および慶元奉化州で旱。7年、懐慶・衛輝・河東および鳳翔岐山・汴梁祥符・河南孟津がみな大旱。8年3月、益都臨淄県で大旱。5月、四川で旱。10年夏秋、彰徳で旱。11年、鎮江で旱。12年、蘄州黄州で大旱、人が人を食い、浙東紹興でも旱、台州は4月から7月まで雨降らず。13年、蘄州黄岡および浙東慶元・衢州・婺州・江東饒州・江西龍興・瑞州・建昌・吉安・広東南雄・湖南永州・桂陽がみな大旱。14年、懐慶河内県・孟州・汴梁祥符県・福建泉州・湖南永州・宝慶・広西梧州がみな大旱、祥符では旱魃が再び現れ、泉州では種が土に入らず人が人を食った。15年、衛輝で大旱。16年、婺州・処州がみな大旱。18年春、薊州で旱、莒州・濱州・般陽滋川県・霍州・鄜州・鳳翔岐山県で春夏みな大旱となり、莒州では家人が互いに食い合い岐山でも人が人を食った。19年、晋寧・鳳翔・広西梧州・象州がみな大旱。20年、通州で旱、汾州介休県は4月から秋まで雨降らず、広西賓州で大旱、閏5月から8月まで雨降らず。22年、河南洛陽・孟津・偃師三県で大旱、人が人を食った。23年、山東済南・広西賀州がみな大旱。
- 至元5年8月、京師の童謡に「白雁は南を望んで飛び、馬札は北を望んで跳ねる」とあった。至正5年、淮楚間の童謡に「富める者は楼を起こすな、貧しい者は屋を起こすな、但し羊の年を看よ、便ち是れ呉家の国」とあった。10年、河南北の童謡に「石人一双の眼、動けば黄河天下反す」とあった。15年、京師の童謡に「一陣の黄風、一陣の砂、千里万里人家無し、頭を回らせば雪消えて看るに堪えず、三眼の和尚瞎馬を弄ぶ」とあった。これらはみな「詩妖」(不吉な予言歌)である。至元3年、諸郡邑で朝廷が童男女を徴発するという噂が広まり、市井・郷里で競って嫁取り婿取りが行われ、慌てて話がまとまり貧富長幼が相応しくない結婚が多かった。これを「民訛」(流言)という。
- 至正10年、彰徳境内で狼が害をなし、夜に人の姿で人家に入り泣いて人の懐に入り込み幼児を食った。23年正月、福州連江県に虎が県庁に入った。24年7月、福州で昼間城西で虎が捕らえられた。
- 至元2年7月、黄州で蝗害。3年6月、懐慶・温州・汴梁陽武県で蝗害。5年7月、膠州即墨県で蝗害。至正4年、帰徳府永城県および亳州で蝗害。17年、東昌茌平県で蝗害。18年夏、薊州・遼州・濰州昌邑県・膠州高密県で蝗害。秋、大都・広平・順徳および濰州北海・莒州蒙陰・汴梁陳留・帰徳永城がみな蝗害となり、順徳九県の民が蝗を食い、広平では人が人を食った。19年、大都・霸州・通州・真定・彰徳・懐慶・東昌・衛輝・河間臨邑・東平須城・東阿・陽穀三県、山東益都・臨淄二県、濰州・膠州・博興州、大同冀寧二郡文水・楡次・寿陽・徐溝四県、忻・汾二州および孝義・平遥・介休二県、晋寧・潞州および壺関・潞城・襄垣三県、霍州趙城・霊石二県、隰州永和・沁州武郷・遼州楡社、奉元および汴梁祥符・原武・鄢陵・扶溝・杞・尉氏・洧川七県、鄭州滎陽・汜水、許州長葛・郾城・襄城・臨潁、鈞州新鄭・密県がみな蝗害となり禾稼草木を食い尽くし、至る所日を蔽い人馬の通行を妨げ坑塹を埋め尽くした。飢民は蝗を捕らえて食べ乾燥保存し、それも尽きると人が人を食った。7月、淮安清河県で飛蝗が天を蔽い西北から来て7日間続き禾稼を食い尽くした。20年、益都臨朐・夀光二県、鳳翔岐山県で蝗害。21年6月、河南鞏県で蝗害、禾を食い尽くした。7月、衛輝および汴梁滎沢県・鄭州で蝗害。22年秋、衛輝および汴梁開封・扶溝・洧川三県、許州および鈞州新鄭・密二県で蝗害。25年、鳳翔岐山県で蝗害。
- 元統2年6月、彰徳で白毛が降った。俗に「老君髯」と呼び、民謡に「天から髦(毛)が降れば事が斉わず」とあった。至元3年3月、彰徳で緑色の糸のような毛が降り、俗に「菩薩線」と呼び、民謡に「天から線が降れば民は怨みを起こし中原の地は必ず変わる」とあった。6年7月、延安路鄜州で馬のたてがみのような白毛が降り所属邑も同様だった。至正13年4月、冀寧楡次県で馬のたてがみのような白毛が降った。7月、泉州路で白い糸が降った。18年5月、益都で白毛が降った。19年3月、遵化路で連日毛が降った。25年5月甲子、京師で一尺ほどの馬のたてがみのような毛が降った。27年5月、益都で白毛が降った。
- 至元4年8月丁丑、京師で白虹が天を貫いた。至正22年、京師で危宿から小さい縄のような白気が起こり長さ500丈で太微を掃った。24年6月癸卯、冀寧路保徳州で三星が昼間見え、白気がその中を横切った。26年3月丁亥、白虹五道が天を貫き、第三道が太陽を貫き、また気が東南に横貫きしばらくして消えた。27年5月、大名路で白気二道が現れた。28年閏7月乙丑、冀寧文水県で白虹が太陽を貫き東北から西南を巡り、雲の影の中に日でないような日が見え鏡のようで色は青白、しばらくして消えた。
稼穡不成
- 元統元年夏、両淮で大飢饉。2年春、淮西で飢饉。7月、池州で飢饉。11月、済南莱蕪県で飢饉。至元元年春、益都路沂水・日照・蒙陰・莒四県および龍興路で飢饉。夏、京師で飢饉。この年沅州・道州・宝慶および邵武・建寧でも飢饉。2年、順州および淮西安豊・浙西松江・浙東台州・江西江撫袁・瑞・湖北沅州廬陽県で飢饉。3年、大都および済南・蘄州・杭州・平江・紹興・溧陽・瑞州・臨江で飢饉。5年、上都開平県・桓州・興和・宝昌州・濮州鄄城・冀寧交城・益都膠・密・莒・濰四州・遼東瀋陽路・湖南衡州・江西袁州・八番順元等処がみな飢饉。6年、順徳邢台・済南歴城・大名元城・徳州清平・泰安奉符・長清・淮安山陽等県、帰徳・邳州・益都・般陽・処州・婺州四郡がみな飢饉。至正元年春、京畿州県・真定・河間・済南および湖南で飢饉。夏、彰徳および温州で飢饉。2年、保徳州で大飢饉。3年、衛輝・冀寧・忻州で大飢饉、人が人を食った。4年、覇州で大飢饉、人が人を食い、東平路東阿・陽穀・汶上・平陰四県がみな大飢饉。冬、保定・河南で飢饉。5年春、東平路須城・東阿・陽穀三県および徐州で大飢饉、人が人を食った。夏、済南・汴梁・河南・邠州・瑞州・温州・邵武で飢饉。6年5月、陝西で飢饉。7年、彰徳・懐慶・東平・東昌・晋寧等処で飢饉。9年春、膠州で大飢饉、人が人を食い、鈞州新鄭・密県で飢饉。14年春、浙東台州・江東饒・閩海福州・邵武・汀州・江西龍興・建昌・吉安・臨江・広西静江等郡がみな大飢饉、人が人を食った。17年、河南で大飢饉。18年春、莒州蒙陰県で大飢饉、米一斗が金一斤に相当した。冬、京師で大飢饉、人が人を食い、彰徳・山東も同様。19年正月から5月まで、京師で大飢饉、銀一錠で米僅か八斗、死者数知れず、通州の民劉五が自分の子を殺して食い、保定路では餓死者が道に満ち、軍士が弱者を捕らえて食う有様で、済南および益都高苑・莒州蒙陰・河南孟津・新安・黽池等県がみな大飢饉、人が人を食った。21年、覇州で飢民が多く餓死した。
- 至正4年、福州・邵武・延平・汀州四郡で夏秋に大疫。5年春夏、済南で大疫。12年正月、冀寧保徳州で大疫、夏、龍興で大疫。13年、黄州・饒州で大疫。12月、大同路で大疫。16年春、河南で大疫。17年6月、莒州蒙陰県で大疫。18年夏、汾州で大疫。19年春夏、鄜州并原県・莒州沂水・日照二県および広東南雄路で大疫。20年夏、紹興山陰・会稽二県で大疫。22年、また大疫。
- 至正元年7月、広西雷州で颶風、潮水が湧き木を抜き農作物を害した。2年10月、海州で颶風、海水が氾濫し人民が溺死した。13年5月乙丑、潯州で颶風、官舎民家の屋根瓦・門扉が7里外まで飛散した。14年7月甲子、潞州襄垣県で大風、木を抜き禾を倒した。21年正月癸酉、石州で大風、木を抜き家畜が鳴き、人が槍矛を持つと突然火炎が生じ、拭えば消え揺らせば現れた。24年、台州路黄巌州で海溢・颶風、木を抜き禾がみな倒れた。27年3月庚子、京師で西北から大風が起こり砂礫を巻き上げ天を蔽い、しばらくして八方から風が吹き夜通し止まず連日続き、その後毎日寅の刻に風が起こり多くの穴が鳴り戌の刻にようやく止むという状態が5月癸未まで続いた。
- 至正3年6月、梧州で青虫が農作物を食った。10年7月、仝州で虫が農作物を食い、郡守石亨祖が玄妙観に祈ると三日間の寒雨で虫が全滅した。19年5月、済南章丘・鄒平二県で蝗の幼虫(蝻)が発生し五穀が実らなかった。22年春、衛輝路で螟(ずいむし)が発生。6月、莱州膠水県で虸蚄(ねきりむし)が発生。7月、掖県で虸蚄が発生し農作物を損なった。23年6月、寧海文登県で虸蚄が発生。7月、莱州招遠・莱陽二県および登州寧海州で虸蚄が発生した。
- 至正9年3月、陳州楊家荘の牛が黄色い子牛を生んだ。生む時火光が室を満たし麻頂緑角の間に緑毛が生え、乳を飲まず二日で死んだ。10年秋、襄陽車城の民家の牛が五足(前三後二)の子牛を生んだ。26年春、汴梁祥符県の牛が双頭の子牛を生み二日経たず死んだ。28年5月、東昌聊城県の銭鎮撫家の牛が六足(前二後四)の黄色い子牛を生んだ。
- 至元5年2月、信州で土が降った。至正3年3月から4月まで、忻州で風霾(砂嵐)が続き昼が暗くなった。26年4月乙丑、奉元路で黄霧が四方に立ち込めた。
- 元統元年8月、鞏昌・徽州で山崩れ。9月庚申、秦州で山崩れ。10月丙寅、鳳州で山崩れ。11月丙申、鞏昌成紀県で地裂け山崩れ。癸卯、安慶灊山県で地震。辛亥、秦州で地裂け山崩れ。12月、饒州徳興県・餘干・楽平二州で地震。2年5月、信州で地震。8月辛未、京師で地震、鶏鳴山が崩れ陥没し池となり周囲百里に及び死者多数。
- 至元元年11月壬寅、興国路で地震。12月丙子、安慶路で地震、宿松・太湖・灊山三県も同時に震動し廬州・蘄州・黄州も同様、この月饒州でも地震があった。2年正月乙丑、宿松で地震。5月壬申、秦州で山崩れ。3年8月辛巳夜、京師で地震、壬午に再び大震、太廟の神主・西湖寺の神御殿の壁が損壊し祭器がみな壊れた。順州・龍慶州および懐来県もみな辛巳夜に地震があり官民の家屋が損壊し人畜が被害を受け、宣徳府も同様で後に順寧と改称された。4年春、保安州および瑞州路新昌州で地震。6月、信州路霊山が裂けた。7月己酉、保安州で地大震。丙辰、鞏昌府で山崩れ。8月丙子、京師で地震が一日二三度あり乙酉に止んだ。密州安丘県でも地震。6年6月己亥、秦州成紀県で山崩れ地裂けた。
- 至正元年2月、汴梁路で地震。2年4月辛丑、冀寧路平晋県で地震、雷のような音がし地が一尺余裂け民家がみな傾いた。7月、恵州で豪雨、羅浮山が27ヶ所崩れ民家・田を損なった。12月己酉、京師で地震。3年2月、鈞州新鄭・密県で地震。6月乙巳、秦州奉安県南坡が崩裂し人畜が死んだ。7月戊辰、鞏昌で山崩れ、人畜の死者多数。12月、膠州および属邑高密で地震。4年8月、莒州蒙陰県で地震。12月、東平路東阿・陽穀・平陰三県および漢陽で地震。5年春、薊州で地震、所属四県および東平汶上県も同様。12月乙丑、鎮江で地震。6年2月、益都路益都・昌楽・夀光三県、濰州北海県、膠州即墨県で地震。3月、高苑県で地震、民家が損壊。6月、広州増城県で羅浮山が崩れ水湧き溺死百余人。9月戊午、邵武で地震、翌日地中で太鼓のような音がし夜も同様だった。
- 7年2月、益都臨淄・臨朐、濰州昌邑、膠州高密、済南棣州で地震。3月、東平路東阿・陽穀・平陰三県で地震、河水が動揺した。5月、臨淄で地震が7日間続き、河東では地が裂け泉が湧き城が崩れ屋が陥没し人民が被害を受けた。11月、鎮江丹陽県で地震。9年6月、台州で地震。7月庚寅、泉州で大風雨、永春県南の象山が崩れ圧死者多数。10年、冀寧徐溝県で地震。5月甲子、龍興寧州で大雨・山崩れ数十ヶ所。丙寅、瑞州上高県の蒙山が崩れた。10月乙酉、泉州安溪県の後山が鳴った。
- 11年4月、冀寧路汾・忻二州文水・平晋・楡次・寿陽四県、晋寧遼州楡社、懐慶河内・修武二県および孟州がみな地震、雷のような音がし家屋が倒壊し圧死者多数。8月丁丑、中興路公安・松滋・枝江三県、峡州・荊門二州で地震。12年2月丙戌、霍州霊石県で地震。閏3月丁丑、陝西で地震、荘浪・定西・静寧・会州が特に甚だしく、山が移動し谷が埋まり家屋が陥没し痕跡さえ見えない箇所もあった。会州の公廨の壁が崩れ弩五百余張(長さ丈余、短いものでも九尺)が出土したが誰も引けなかった。10月丙午、霍州趙城県の霍山が崩れ石が数里湧き出した。三日前に山鳴りが雷のようで禽獣が驚き散った。
- 13年3月、荘浪・定西・静寧・会州で地震。7月、汾州白彪山が裂けた。14年4月、汾州介休県で地震、泉が湧いた。7月、孝義県で地震。11月、寧国路で地震、寧国・旌徳二県も同様。淮安路海州で地震。12月己酉、紹興で地震。15年4月、寧国の敬亭・麻姑・華陽諸山が崩れた。6月丁丑、冀寧保徳州で地震。16年春、薊州で10日間地震、所属四県も同様。6月、雷州で地大震。17年10月、静江路東門で地陥没し城東の石山が崩れた。12月丁酉、慶元路象山県の鵝鼻山が崩れ雷のような音がした。18年2月乙亥、冀寧臨州で地震。5月、益都で地震。19年正月甲午、慶元で地震。20年2月、延平順昌県で地震。22年3月、南雄路で地震。23年12月丁巳、台州で地震。25年10月壬申、興化路で地震、雷のような音がした。
- 26年3月、海州で地震、雷のようで、贛榆県の呉山が崩れた。6月、汾州介休県で地震、紹興山陰県の臥龍山が崩れた。7月辛亥、冀寧路徐溝県、石・忻・臨三州、汾州孝義・平遥二県で同日地震、圧死者があった。丙辰、泉州同安県で大雷雨、三秀山が崩れた。この月河南府鞏県で豪雨、地震、山崩れがあった。11月辛丑、華州蒲城県の洛岸が崩れ水を堰き止め流れが三日絶えた。12月庚午、華州蒲城県の洛水和順崖が崩れ、崖に石があり巖穴に住めるほどで、この日壊乱を避けていた者70余人が圧死した。27年5月、山東で地震。6月、沂州で山石が崩裂し雷のような音がした。7月丙戌、静江霊川県大蔵山の石崖が崩れた。10月丙辰、福州で雷雨・地震。12月庚午、また地震、雷のような音がした。28年6月、冀寧文水・徐溝二県、汾州孝義・介休二県、臨州・保徳州、隰州石楼県および陝西がみな地震。10月辛巳、陝西でまた地震があった。
- 至元4年5月、彰徳臨漳県で麦の穂が両岐に分かれ三穂のものもあった。至正元年、延平順昌県で嘉禾(一茎五穂)が生じ、冀寧太原県では異なる畝で同じ穂が生じた。3年8月、晋寧臨汾県で嘉禾が生じ五穂から八穂に及んだ。13年、彰徳路で穀麦が双穂になった。16年、大同路秦城郷で嘉禾が生じ一茎に二穂・五穂・九穂のものや異なる茎で同じ穂のものもあった。26年5月、洛陽県康家荘で瑞麦が生じ一茎四穂、双穂・三穂のものも多数あった。