繹史古今人物表(古今人表)

人物を九等に分ける趣旨

  • (漢書より)文字が作られて以来、唐虞以前の帝王・輔佐は号諡すら定かでないが、諸子百家の書に散見するため、はっきりしない部分を含みつつも博く採録し、善を明らかにし悪を戒める資とするとする。
  • (漢書より)孔子の言(「聖と仁とは自分など及ばぬ」「生まれながらに知る者は上、学んで知る者は次、困しみて学ぶ者はその次、困しみても学ばぬ者は下」「中人以上には上のことを語れるが、上智と下愚は移らない」)を引き、堯舜と共に善をなした者(禹稷契ら)を「上智」、桀紂と共に悪をなした者(干莘・崇侯ら)を「下愚」、斉桓公のように善にも悪にも傾き得た者を「中人」とする三分法から、さらに細分した九等の序列(人表の分類基準)を立てたと述べる。
  • (張晏・顔師古の割注より)班固の分類の妥当性をめぐる後世の議論を記す。老子や文伯の母を第四等とし、田単・魯仲連・藺相如を第五等、大姬・孟子(宦官)を第三等、嫪毐を第七等に置くなど、班固の評価基準には賛否があったとする張晏の指摘、およびそれに対する顔師古の反論(班固の原表は早くに散佚し、後人の転写によって等級の錯乱が生じた可能性があり、一概に班固の誤りとは言えない)を紹介する。

人表本体について

  • 人表本体(宓羲以下、秦の滅亡に至るまでの歴代人物を上上から下下までの九等に配した一覧表)は、原本では図表の形式で記載されており、本書の底本ではその図表部分が伝写されず、巻百六十のうち大半の丁(頁)が空白のまま残されている。

馬驌による結びの言(繹史 終篇)

  • (編者按)班固の「古今人表」については、甲乙の配列が紛らわしい、記載が網羅的でない、前代の人物は漢代の事跡と無関係である、といった後人の批判があるが、馬驌はあえてこれを『繹史』全体の終篇として採用したと述べる。理由として、宓羲より秦の滅亡に至るまでの世こそ『繹史』が扱う世であり、そこに録された人こそ『繹史』が録した人であるから、人表はあたかも『繹史』のために作られたかのようだとする。
  • (編者按)人表が諸子百家の記述を広く採り入れながらも所々に齟齬があるのは、班固が禍難(竇氏の獄)に遭って未定稿のまま終わったためではないかと推測し、七十子や伯魚・展禽といった人物の扱いについても、後人の転写による誤りの可能性を指摘する。殷・周の先公の等級づけに偏りがあることや、夏商中葉の君主の事跡が明らかでない点についても、東京(後漢)に近い時代でなお史料が十分でなかった事情によるものかとする。
  • (編者按)『漢書』には兵志・食貨志・五行志など、古を援いて今に至るまでを通観する志があり、藝文志も三代の典籍を備えているのに対し、人表は古人のみを表し今に及んでいない。これは班固の企図が未完に終わったためかもしれないが、『繹史』にとっては人と世がまさにここで終わるがゆえに、人表をもって『繹史』の終篇とするのがふさわしいと結ぶ。