繹史秦、天下を併合する(秦并天下)

  • 履歴: 秦王政(後の始皇帝)。荘襄王の子。13歳で即位し、当初は呂不韋が国政を代行。後に李斯を用いて六国を次々に併呑し、前221年に中国を統一、皇帝の号を創始した。

即位当初の秦(史記より)

  • 即位時、秦はすでに巴蜀・漢中・郢(南郡)などを領有し、呂不韋が丞相として実権を握っていた。

李斯の入秦(史記より)

  • 楚の李斯は荀卿に帝王の術を学び、「鼠の賢不肖は処る場所による」との悟りを得て秦に赴く。呂不韋の食客となり、秦王に「時を得て六国を併呑すべき」と説き、長史に取り立てられる。
  • 李斯は各国に間者を送り、名士は財で懐柔し、応じぬ者は刺客で除くという二段構えの策を進言する。

廉頗と李牧(史記より)

  • 趙の名将・廉頗は失脚と復権を繰り返すが、讒言により再登用されず、楚に招かれるも失意のうちに寿春で没する。「天下は市道の交わり」という食客の言葉が付記される。
  • 李牧は匈奴戦で「臆病」と誤解されながらも持久策を貫き、後に匈奴十余万騎を撃破する大功を挙げる(付:晋・趙・秦・燕の対異民族政策の沿革)。

韓・魏をめぐる外交論(戦国策より)

  • 秦が韓の美人と金を用いて離間を図る計略や、韓の申不害・昭釐侯の故事を引いた弁士たちの説得(尊秦論、除忿論など)を収める。
  • 魏の張旄が魏王に「韓は結局、強く恨みのない相手(秦)につく」と分析する問答を記す。

鄭国渠の開削(史記より)

  • 韓が秦を疲弊させる目論見で送り込んだ水利技術者・鄭国が、灌漑水路(鄭国渠)を完成させ、かえって秦の国力を大いに富ませる結果となる。

逐客令と李斯の諫言(史記より)

  • 鄭国の一件を機に、秦の宗室・大臣が他国出身者の追放(逐客令)を主張。李斯もその対象となるが、「泰山は土壌を譲らず、河海は細流を択ばず」の名言で始まる『諫逐客書』を上奏し、繆公以来の他国人材登用の功績を列挙して令の撤回を勝ち取る。

尉繚の献策(史記より)

  • 大梁の尉繚が「諸侯の合従を財貨で崩す」策を秦王に説き重用されるが、秦王の人相(蜂準・長目・豺声)を評して「久しく交わるべからず」と密かに逃亡を図る(結局は捕らえられ秦国尉となる)。

頓弱の弁舌(戦国策より)

  • 頓弱が秦王に「実あって名なき者(商人)、名あって実なき者(農夫)、名も実もなき者(拝礼せぬ秦王)」との逆説的弁舌で謁見し、韓・魏を諜略で切り崩す策を進言する。

各国の攻略(史記より・年代順)

  • 王翦・桓齮・楊端和らが趙の鄴・閼与などを攻略。李牧が桓齮を破る一方、後には秦の反間策により李牧は讒殺され、趙は急速に衰退する。
  • 韓王安を捕らえて潁川郡を設置(韓の滅亡)。
  • 王翦らが趙の邯鄲を包囲し、趙王遷を捕虜とする(趙の滅亡)。公子嘉は代に逃れ代王を称する。

司空馬の亡命譚(戦国策より)

  • 文信侯(呂不韋)の食客・司空馬が趙に仕え、秦の強さを客観的な数値比較で示して「趙は必ず亡ぶ」と説くが用いられず、趙を去る。予言通り、讒言により名将李牧が誅殺され、半年で趙は滅亡する。

荊軻の秦王暗殺未遂(史記・燕丹子ほかより)

  • 燕の太子丹は秦の人質時代の遺恨から復讐を誓い、田光の紹介で荊軻を上客として迎える。
  • 荊軻は秦の逃亡将軍・樊於期の首級と督亢の地図を手土産に秦王への謁見を得る計を立て、樊於期は自ら首をはねて協力する。
  • 秦の咸陽宮で、荊軻は地図に隠した匕首で秦王を刺そうとするが失敗。秦王は柱を巡って逃げ、侍医・夏無且の機転もあり、最後は荊軻を斬る。
  • 荊軻の友・高漸離は変名して身を隠すが、後に見出され、両眼を潰されてなお秦王の側近くで筑(琴に似た楽器)を奏で、鉛を仕込んだ筑で秦王を撃とうとするも失敗し誅殺される。

燕・楚・魏・斉の滅亡(史記より)

  • 燕王喜は太子丹を殺して秦に差し出すも許されず、燕も滅亡。
  • 魏は黄河の水を引いて大梁城を水攻めにされ降伏(王賁の策)。
  • 楚は李信の初戦大敗の後、王翦が60万の大軍をもって持久戦の末に平定。楚将項燕は自殺。
  • 斉王建は秦の間諜工作(后勝への賄賂)により無抵抗のまま降伏し、共(地名)に流されて餓死する。斉の民は「松や柏よ、建をこのような目に遭わせたのは客(后勝ら)のせいだ」と歌ったと伝える。

皇帝号の制定(史記より)

  • 天下統一後、丞相・王綰、御史大夫・馮劫、廷尉・李斯らが「泰皇」の号を提案するが、秦王は自ら「皇帝」の号を選び、諡法を廃して「始皇帝」と自称、以後は世代数で数える(二世・三世…)ことを定める。
  • 五徳終始説に基づき秦を水徳とし、色は黒、数は六を尊ぶなど諸制度を定める。

郡県制の採用(史記より)

  • 丞相・王綰らは旧慣に倣い諸子を封建すべきと進言するが、李斯は周が同姓を封じてかえって内紛を招いた失敗を指摘し、郡県制の全面採用を主張。始皇はこれを容れ、天下を36郡に分ける。

度量衡・文字の統一(史記より)

  • 度量衡・車軌・文字を統一し、天下の兵器を集めて鐘・金人(銅像)を鋳造。天下の富豪12万戸を咸陽に移し、諸侯の宮室を模して咸陽に建てさせるなど、統一政策の諸相を記す。