繹史呂不韋、秦の相となる(上)(呂不韋相秦(上))
- 履歴: 呂不韋。陽翟の大商人。秦の公子子楚(後の荘襄王)に投資し王位に就かせ、秦の丞相・文信侯となる。子楚の死後、幼い秦王政(始皇帝)の下で「仲父」と呼ばれ権勢を振るい、食客を集めて『呂氏春秋』を編纂させた。
子楚を王位につける策謀(史記より)
- 呂不韋は趙に人質となっていた不遇の公子子楚を見て「奇貨居くべし」と考え、財を投じて後見する。
- 華陽夫人(安国君の寵妃で子がない)に働きかけ、子楚を跡継ぎに立てるよう説得に成功する。
- 邯鄲の美姫を子楚に献じ、生まれた子(後の秦王政)を含め、子楚の地位を固める。
- 秦軍の邯鄲包囲の際、子楚を賄賂で脱出させ秦へ帰し、莊襄王として即位させる。呂不韋は丞相・文信侯となる。
戦国策の異伝
- (戦国策より)呂不韋が子異人(子楚)を陽泉君・華陽夫人に取り入らせる過程を、より詳細な弁舌の記録として伝える。趙側の説得(子異人を帰せば秦の恩義を得る)も記す。
呂氏春秋の編纂(史記より)
- 秦王政の代、呂不韋は仲父と称され、食客三千人を養い、四君(孟嘗君・平原君・信陵君・春申君)に対抗して『呂氏春秋』二十六篇(八覧・六論・十二紀)を編ませる。
- 咸陽の市門に掲げ「一字でも増減できれば千金を与える」と豪語したという逸話を記す。
呂氏春秋・本生篇
- (呂氏春秋より)天は人を生み、人はこれを養う。天子とは天与の生を全うする者であるとし、感覚的欲望に溺れず「性を全うする」ことを説く。
- (呂氏春秋より)富貴の弊害(招蹶の機・爛腸の食・伐性の斧)を戒め、貧賤より重生の道を貴ぶ古人の知恵を説く。
重己篇
- (呂氏春秋より)自分の指や玉より自らの生を重んじるべきとし、性命の情に通じずして身を慎んでも無益であるとする。
- (呂氏春秋より)大室・高台・美食・多楽を避け、隂陽の調和を保つことが養生の道であるとする。
当染篇
- (呂氏春秋より)「墨子、素糸を染むるを見て歎ず」の故事から、国も君主も交わる人によって染まる(当染)とし、舜・禹・湯・武王が賢臣によって王となり、桀・紂・厲王・幽王が佞臣によって滅んだ例を対比する。
- (呂氏春秋より)孔子・墨子の教えが優れた弟子によって広まった例を引き、「染まる相手」を選ぶことの重要性を説く。
功名篇
- (呂氏春秋より)功名は逃れがたく、影や響きのように必然的に伴うとし、水泉が深ければ魚が集まるように、君主が賢明であれば豪傑が集まると説く。
尽数篇
- (呂氏春秋より)陰陽・寒暑・燥湿の調和が生命を養うとし、養生の要は「害を去る」ことにあるとする。大甘・大酸などの過剰な味、大喜・大怒などの過剰な感情、大寒・大熱などの過剰な気候はいずれも身体に害をなすとする。
- (呂氏春秋より)「流水は腐らず、戸枢は螻まず」の喩えで、身体も動かさねば気が滞り病を生むとする。
論人篇
- (呂氏春秋より)人主の道は近くにあり、まず自らを正すこと(反諸己)が第一で、他人に求めること(求諸人)は次善であるとする。
- (呂氏春秋より)人を見極める法として「八観六験」(通・貴・富・聴・止・習・窮・賎の時にどう振る舞うかを観察し、喜怒哀楽で試す)を説く。
圜道篇
- (呂氏春秋より)天道は円く、地道は方形であるとし、日月の運行や四季の巡りが円環をなすように、君主の号令も循環して民心に浸透すべきだと説く。
尊師篇
- (呂氏春秋より)神農から越王勾践に至るまで、聖人・賢主はみな師を尊んだと説き、子張・顔涿聚ら卑賤の出身者も学問によって名を成した例を挙げる。
- (呂氏春秋より)学問の目的は天与の資質を発揮することにあり、学ばねば耳目心口の機能も十全に働かないとする。
用衆篇
- (呂氏春秋より)善く学ぶ者は他人の長所を借りて自らの短所を補うとし、純白の狐皮衣が多くの白い毛皮を集めて作られるように、優れた治世は衆知を集めて成ると説く。
大楽篇
- (呂氏春秋より)音楽は度量に発し、太一・両儀・陰陽の調和から生まれるとする。真の楽(大楽)は道に通じた者のみが理解できるとし、乱世の楽は君臣父子の秩序の乱れを反映するとする。
侈楽篇
- (呂氏春秋より)夏桀・殷紂の淫楽(侈楽)は度を過ごしたもので、真の楽の情を失わせ、民の怨みと国の衰亡を招くとする。
適音篇
- (呂氏春秋より)耳目口鼻の欲求と心の調和(和心)こそ楽の要諦であり、音楽の大小清濁にも適度(衷)があるとする。治世の音は安らかで楽しく、乱世の音は怨み怒り、亡国の音は悲しく哀れであるとする。
明理篇
- (呂氏春秋より)正しい政治の積み重ねは福をもたらし、邪な政治の積み重ねは禍をもたらすとし、天変地異・怪異現象(日食月食、彗星、奇形の動植物など)を乱世の兆しとして列挙する。
蕩兵篇
- (呂氏春秋より)古の聖王には「義兵」はあっても「偃兵(兵の全廃)」はなかったとし、兵は水火のように用い方次第で禍にも福にもなると説く。
- (呂氏春秋より)義兵は暴君を誅して苦しむ民を救うものであり、民衆はこれを慕って集まるとする。
禁塞篇
- (呂氏春秋より)道理のない国を助け、義のない行いを救うことは、天下の害を助長する行為だと批判し、義の有無を見極めて救援・攻伐を判断すべきとする。
懐寵篇
- (呂氏春秋より)義兵が他国に入っても、五穀を荒らさず、墓を暴かず、家屋を焼かず、民の信頼を得ることで、天下がこれに帰服すると説く。
論威篇
- (呂氏春秋より)義は万事の紀であり、生死栄辱の道を一にすれば三軍も一心になるとする。至兵(最強の軍)は号令が民心に深く浸透し、刃を交える前に敵を畏服させるとする。
決勝篇
- (呂氏春秋より)兵の根本は義・智・勇にあり、義によって敵を孤立させ、智によって虚実盛衰を知り、勇によって決断すると説く。専諸・要離のような一身の必死の気迫が、時に大軍にも勝ると説く。
荀子との対比(節末の按語)
- (荀子より・引用)李斯が秦の強兵を「便利による」と評したのに対し、荀子が「仁義こそが真の強さの本」であると諭した問答を引き、呂氏春秋の兵論と対照させる形で附載する。
精通篇
- (呂氏春秋より)「兔絲(つたかずら)に根がないように見えても、実は地中の伏苓に根が通じている」との喩えから、離れた者どうしの心が精気によって通じ合う現象(親子の情、鍾子期の悲しみを聞いた話など)を説く。
節喪篇
- (呂氏春秋より)生を知り死を知ることは聖人の要であり、厚葬による盗掘の危険を避けるため、慈親孝子は「安死」を旨とすべきだと説く。過度な厚葬は生者の見栄に過ぎず、死者のためにならないとする。