繹史列国、周を困らせる(列國難周)

  • 履歴: 戦国末期、東西に分裂した弱小国となった周の王室が、秦・斉・楚・韓・魏・趙など列強の圧力や駆け引きの材料とされ続けた顛末を集めた項目。

顔率、九鼎を守る

  • (戦国策より)秦が周に九鼎を求めた際、顔率は斉に助けを求め、斉の大軍出兵で秦を退けさせた。斉が代わりに九鼎を求めると、顔率は「九鼎を運ぶ道が梁にも楚にも無い」と説き、結局は運搬不能を理由に斉をも思いとどまらせた。

周を巡る小国間の駆け引き

  • (戦国策より)趙が周の祭地を奪った際、鄭朝が占いを利用してわずかな金で取り戻した。
  • (戦国策より)韓氏が周にいた向晋を追った件で、成恢が魏・韓を巧みに言いくるめ、周への遺恨を韓の失点とした。
  • (戦国策より)楚将伍得が周に怨みを持った際、周君は太子に出迎えさせて厚遇を演出し、楚王の疑念を伍得に向けさせる策を用いた。
  • (史記より)秦が両周の間を通って韓を伐とうとした際、史厭が周のために弁じ、韓と秦の双方に働きかけて周が地を保つよう図った。
  • (戦国策より)楚が両周の間に道を借りて韓魏に迫ろうとした際、蘇子は「斉秦が楚を攻めるだろう」と説いて周君を安心させた。
  • (戦国策より)石行秦・辯智の士らが秦に対して周の立場を守るよう説いた。
  • (戦国策より)秦が周君を召した際、魏王に働きかけて周君の入秦を思いとどまらせた。
  • (戦国策より)昭献が陽翟にいた際、周君が相国を派遣しようとしたのを蘇厲が諌めて中止させた。
  • (戦国策より)楚が雍氏を攻め秦韓に周が兵糧を送ったため楚王が怒った際、周のために楚王を宥める弁が説かれた。
  • (史記より)楚が斉韓と結んで周を図ろうとした際、武公が楚相昭子に「共主を弑する汚名は得にならない」と説き、九鼎が楚に渡ることの危険を虎と麋の比喩で論じて計画を頓挫させた。
  • (戦国策より)秦が華陽を破った後、馬犯が周のために梁を動かし、九鼎を口実に梁へ周への築城を約させた。

秦への従属と滅亡

  • (戦国策より)周最が秦の太后の孝養を称えるよう周君に勧め、秦との関係改善を図った策。
  • (戦国策より)秦が周を攻めようとした際、周最が「周を攻めれば天下の非難を招き斉との結束を招く」と秦王を説いて思いとどまらせた。
  • (戦国策より)宮他は周君に、韓魏に頼って秦を軽んずる危うさを説き、趙と密かに結んで秦に備えるよう勧めた。
  • (史記より)赧王五十八年、三晋が秦に対抗した際、周の相国が秦との関係を秤にかけて重んじられる策を説き、秦を怒らせて三晋を攻めさせた。
  • (史記より)赧王五十九年、秦が韓の陽城・負黍を取ると、西周は秦に背いて諸侯と合従したが、秦昭王は将軍摎に攻めさせ、西周君は秦に降伏して邑三十六・民三万を献じた。周君の死後、周の民は東に逃げ、秦は九鼎宝器を奪って西周公を㸑狐に遷した。七年後、秦荘襄王が東周を滅ぼし、東西周はすべて秦に入り、周の祭祀は絶えた。ただし荘襄王元年、東周君が諸侯と共に秦を図った際は、秦は呂不韋に誅させつつも陽人の地を与えて周の祭祀だけは絶やさなかった。