繹史張儀、秦の相となり連衡す(張儀相秦連衡(公孫衍相魏)(陳軫田需並附))
- 履歴: 張儀は魏の人。蘇秦と共に鬼谷先生に学ぶ。楚の宰相の酒宴で璧を盗んだ疑いをかけられ笞打たれるも屈せず、蘇秦の策略(あえて侮辱し発憤させる)により秦へ入り恵王の客卿となる。以後、秦の連衡策を主導し、魏・楚・韓・斉・趙・燕を歴訪して合従を切り崩し、恵王のもとで丞相を務めた。恵王の死後、武王に疎まれて失脚し、魏に赴いて一年後に没した(前309年頃)。
出仕の経緯
- (史記より)張儀は蘇秦と共に鬼谷先生に師事したが、蘇秦は自らの才を張儀に及ばぬと認めていた。楚で盗みの疑いをかけられ笞打たれても「舌さえあれば十分」と屈しなかった。蘇秦は自ら関を制する立場になると、あえて張儀を侮辱して発憤させ、密かに資金を与えて秦での出世を助けた。恵王の客卿となった張儀は、後にこの真相を知り「蘇秦の術中にあったとは、及ばぬものだ」と嘆じ、蘇秦の在世中は趙を攻めぬと誓った。
対魏戦争と秦相就任
- (史記より)秦は隂晋・河西・汾陰・皮氏・蒲陽などを次々に得て、張儀の外交により魏から上郡・少梁も献上させ、張儀は秦の相となった。かつて疑われた楚の旧相へ「城を盗みに行くぞ」との戯文を送った逸話も記す。
陳軫の疑惑と弁明
- (戦国策・史記より)張儀は陳軫が国情を楚に漏らしていると恵王に讒言したが、陳軫は「二人の妻を娶る話」(不義を勧める女より正義を貫く女を選ぶべき)の譬えで、自らが楚に行けば忠義を証明できると弁じ、王の信頼を回復した。別の説客(田華)は「晋が虞・虢を美女や賄賂で滅ぼした故事」を引き、楚が張儀と陳軫を離反させようとしていると王に警告したが容れられなかった。
陳軫と犀首の駆け引き
- (史記・戦国策より)陳軫は秦を去り楚に赴く途中、魏の犀首(公孫衍)を訪ね、閑職に飽きていた犀首に「多忙を演出する策」を授けて燕・趙・斉・楚各国から次々に用事を持ち込ませ、結果として犀首は諸国外交の要となり魏の相に返り咲いた。
画蛇添足(昭陽の故事)
- (戦国策より)楚将昭陽が魏を破り斉に進軍しようとした際、陳軫は「蛇の絵に足を書き足して酒を失った者」の譬えを引き、これ以上の功を求めれば身を滅ぼすと諌め、昭陽は兵を退いた。
恵施との論争と張儀の失脚
- (戦国策・韓非子より)張儀は魏を秦韓と結んで斉楚を攻めさせようとし、恵施は逆に斉楚と和して兵を休めるよう説いた。群臣の大半が張儀に賛同したが、恵施は「意見が真に正しければ全員一致するはずがなく、王が半数の反対意見を失うのは主君を欺かれている証」と論じた(劫王の論)。その後、張儀は魏の相となったが魏王が言うことを聞かず、秦は怒って魏の曲沃・平周を奪い、張儀は面目を失った。
諸国をめぐる駆け引き
- (戦国策より)張儀が陳軫を陥れようと魏王に相位を与えて誘い出そうとした際、陳軫の子の機知でこれを見破り難を逃れた話、楚王が張儀を魏から追放しようとした際、陳軫が「忠不忠にかかわらず追放は損」と諌めた話などを記す。魏の哀王は張儀の説得を聞かず、秦は密かに魏を攻めて破った。
五国攻秦とその瓦解
- (史記より)秦恵王の頃、蘇秦の合従に基づき楚懐王を従長として趙・魏・燕・斉・韓の六国が匈奴も交え秦を攻めたが、秦の反撃で兵を退き、斉の参陣は最も遅れた。
- (戦国策より)この前後、恵施が魏のために楚と和議を図った経緯、楚の昭陽が韓を利で誘い恐れで脅して五国の攻秦策を切り崩した経緯、魏順が沛邱の存続を条件に楚王の外交姿勢を占わせた経緯、公孫衍が義渠君に「秦が中国と事あれば厚遇される」と説き、後に秦が義渠に賄賂を贈った際、陳軫の勧めもあって義渠が秦を急襲し大破した経緯などを記す。
秦韓の攻防と魏の連衡転向
- (史記より)秦は韓魏の連合軍を破り(申差・趙公子渇・韓太子奐を撃破)、諸侯を震撼させた。張儀は魏王に「魏は四方に囲まれた戦場であり合従は兄弟でも争う財産のように破綻しやすい」と説き、事秦こそ安泰の道であると論じ、魏はついに合従を離れて秦と講和した。
- (史記より)その後、犀首は韓の公叔に「張儀は魏韓の地を奪おうとしている」と偽情報を流し、これを信じた公叔が韓の南陽を犀首に委ねたことで張儀は魏を去り、犀首が魏の相となった。だが張儀は再び秦の相に返り咲き、秦は魏の焦・曲沃を攻略、韓を岸門で破り太子倉を人質に取った。
岸門の戦いをめぐる誤算
- (戦国策より)秦韓が濁澤で戦った際、韓の公仲朋は秦との講和を勧めたが、楚の陳軫は「援軍を装って韓を誘い、秦韓の離反を図る」策を献じ、楚王はこれに従った。韓王は楚の口約束を信じて秦との和を断ったが、実際の援軍は来ず、韓は岸門で秦に大敗した。この失策は陳軫の策に惑わされた公仲朋の判断ミスとして総括される。
- (戦国策より)秦が韓の陘を攻めた際、陳軫は秦王に「南陽の地を得ても交誼は深まらず、兵も止まらない。山東諸侯はもはや秦に領地を献上する誠意を失うだろう」と諌めた。
曲沃負の諫言(附記)
- (史記・列女伝より)魏の太子政が秦の公子として立てられた際、哀王が太子妃を自ら娶ろうとしたのを、曲沃負という老婦が「男女の別を乱せば国政も乱れる」と直言し、哀王はこれを容れて太子に妃を返し、負に厚く報いたという。
商於六百里の欺瞞
- (史記・戦国策より)張儀は楚懐王に「斉との断交と引き換えに商於の地六百里を献じる」と持ちかけ、懐王は大いに喜んだが、陳軫は「秦が楚を重んじるのは斉との連携があるからこそで、斉と絶てば楚は孤立し、地も得られまい」と諌めた。懐王は聞かず斉と断交、張儀は秦に戻ると「約束したのは六里であって六百里ではない」と開き直った。激怒した懐王は秦を攻めるが丹陽・藍田で大敗し、漢中の地まで失った。
詛楚文(秦楚の呪詛碑文)
- 秦が楚王熊相(懐王)の背信を巫咸神に訴え、楚を討つ加護を求めた呪詛の碑文が引かれる。楚が同盟を破り秦の辺境を侵したことを「多辠」として糾弾し、秦の反撃に神の助けを願う内容である。
陳軫・蘇代の外交術
- (史記より)秦は丹陽で楚将屈匄を破り、漢中を得て漢中郡を置いた。楚が雍氏を包囲した際、蘇代は田軫(陳軫)に、韓・秦・魏いずれの動きも田軫に有利に働くよう仕向ける複雑な三国間の駆け引きを説いた。
- (戦国策・史記より)陳軫にまつわる類話として、呉人が楚にいてもなお望郷の歌(呉吟)を歌う話や、卞荘子が二虎の共食い・共倒れを待って一挙に両虎を仕留めた話(一挙両得の譬え)が引かれ、韓魏あるいは斉楚の争いに介入する時機を計る教訓として用いられる。
張儀の抑留と釈放
- (史記より)秦が楚の黔中の地を求めた際、楚は張儀の身柄と引き換えを条件とした。張儀は寵臣靳尚と楚王の夫人鄭袖を頼みに自ら楚へ赴いた。懐王は張儀を捕らえ殺そうとしたが、靳尚は鄭袖に「張儀が死ねば秦は美女を贈って寵を奪う」と説いて焦らせ、鄭袖の懇願により懐王は張儀を赦し厚遇した。
- (戦国策より)別伝では、靳尚が「張儀を釈放すれば秦の恩を得られ、宮中の富貴も安泰」と鄭袖を説いた経緯や、釈放後の張儀が楚王に鄭・周の美女の噂を語って王の好色心を試した逸話、鄭袖と南后への贈賄で自らの立場を固めた逸話などが伝わる。
- (戦国策より)張儀の出立に際し靳尚の仇敵張旄が靳尚暗殺を仕組み、秦楚の対立を煽って自らの立場(魏における重用)を強めた顛末も付記される。
六国連衡の完成
- (史記より)張儀は蘇秦の死を知ると改めて楚を説き、秦の強大さと合従の脆さ(蘇秦自身が謀反の疑いで車裂に処された例)を挙げて連衡を勧め、楚は黔中の地を秦に与えて講和した(屈原の反対はあったが容れられず)。
- (史記より)続けて韓には「秦兵の精強さに比べ韓の兵力は劣る」、斉には「斉と魯・秦と趙の戦例になぞらえ大国に頼る危うさ」、趙には「蘇秦の合従の破綻」、燕には「趙襄子が姉婿の代王を謀殺した故事を引き趙の不信」を説き、いずれの国も張儀の勧めに従って秦との連衡(親善)を選んだ。この遊説の完成直前に秦恵王が薨じ、武王が立った。
秦武王即位後の失脚と最期
- (史記より)武王は太子時代から張儀を嫌っており、即位後は讒言が相次いだ。張儀は誅殺を恐れ、「東方に大乱が起きれば秦は多くの地を得られる」との計を武王に献じ、自ら魏へ赴いて斉の攻撃を誘い、諸国の目を東に引き付けている隙に秦が韓・周を攻めて九鼎を得る「王業」の策を進言した。計画通り斉が魏を攻めると、張儀の使者馮喜が斉王を説いて兵を退かせ、張儀は難を逃れた。
- (史記より)張儀は魏の相となって一年後に没した。
犀首・田需をめぐる魏の政争(附記)
- (戦国策より)犀首(公孫衍)は魏の相田需と対立し、両者の確執をめぐり群臣がそれぞれの利害で介入する様が描かれる。恵子は「柳の木を大勢で植えても一人が抜けば育たぬ」の譬えで田需の立場の危うさを説き、季子は「牛と駿馬を並べて車を引かせれば共倒れになる」の譬えで犀首と田需の共存の難しさを説いた。犀首は魏王に田需の妨害を退けるよう求め、後に斉の田嬰と結んで文子(孟嘗君)を魏の相に据え、自らは韓の相を兼ねた。蘇代は魏王に「公孫衍と田文(孟嘗君)はそれぞれ韓・斉に肩入れするため、田需を側に置いて互いを牽制させるべき」と献策し、王はこれに従った。
- (史記より)張儀と魏章が魏に帰り、田需が没すると、楚は魏の相位を張儀・犀首・薛公の誰が得るか警戒し、楚相昭魚は蘇代の献策により魏の太子自身を相に据えることで諸国の介入を防いだ。
太史公評
- (史記より)三晋(韓・魏・趙)の出身者には権謀の士が多く、合従連衡を唱えて秦を強くした者の大半も三晋の人であった。張儀の行いは蘇秦以上に狡猾であったが、蘇秦が先に死んだため世は張儀を蘇秦ほど憎まなかったに過ぎない。太史公は両者を共に「傾危の士」(国を危うくする策謀家)と総括する。