- 履歴: 扁鵲(本名秦越人、生没年不詳)は勃海郡鄭の人。長桑君から秘薬と秘方を授けられて超人的な診断力を得たとされ、斉・趙などで医業を行い名医として天下に知られた。文摯(生没年不詳)は宋の医で、斉王の病を治した逸話で知られる。
神秘の伝授と診断力(史記)
- 若い頃、宿舎の長として出会った長桑君から秘薬と禁方書を授けられ、これを服してから壁越しに人を見通すほどの透視力を得たとされる。以後、脈診を専らの名目としながら、実際には五臓の病巣まで見通していたという。
虢の太子の蘇生(史記・説苑)
- 虢に立ち寄った扁鵲は、太子が急死したと聞き、これを「尸厥」(気の巡りが滞り仮死状態に陥る症状)と診断し、上古の名医俞跗の医術(開胸・脈絡の手術)に及ばずとも、鍼と熨法によって蘇生できると説いた。中庶子の疑いを「管を以て天を窺うがごとし」と一蹴し、実際に鍼と薬で太子を蘇らせた。世は扁鵲を「死者を生き返らせる名医」と称えたが、扁鵲自身は「私は死者を生かしたのではなく、本来生きるはずの者を助け起こしただけだ」と謙遜した。(説苑にほぼ同旨の異伝を収め、趙の太子とする)
斉桓侯への諫言(史記)
- 斉桓侯に謁見した扁鵲は、病が腠理・血脈・腸胃・骨髄へと進行するのを段階ごとに指摘したが、桓侯は聞き入れず、最後には手の施しようがなくなり、扁鵲は逃げ去った。桓侯は間もなく病死した。この逸話から、病を六つの「不治」(驕慢・軽身重財・衣食不摂生・気の不定・服薬拒否・巫術偏重)に分類し、早期の対応の重要性を説く。
医の限界と巫術への風刺(新語)
- 衛に亡命した扁鵲が瀕死の病人を治療しようとしたが、病人の父が名医より巫術を信じて呪術に頼り、結局病人は死んでしまった逸話。名医であっても信を得られなければ力を発揮できないと論じる。
心臓の入れ替えの寓話(列子)
- 志が強く気が弱い公扈と、志が弱く気が強い斉嬰の二人を扁鵲が治療した際、それぞれの心(性質)を入れ替える手術を行ったところ、術後は互いに相手の家に帰って自分の妻子を見分けられなくなり、訴訟にまで発展したという寓話的な逸話(性質と身体の同一性を問う思考実験として引かれる)。
兄弟の医術比較(鶡冠子)
- 魏文侯に「兄弟のうち誰が最も医に長じているか」と問われた扁鵲は、「長兄は病が形になる前に除くため名が知られず、中兄は病の初期に治すため名が知られない。自分は病が重くなってから治療するため名が天下に轟く」と答え、真に優れた医は未然に防ぐ者であることを示唆した。
秦武王への諫言(戦国策)
- 秦武王の病を診た扁鵲が、左右を退けて治療しようとしたところ、武王がこれを漏らしたため、扁鵲は「知る者と謀らず知らぬ者と謀れば国を滅ぼす」と怒って治療の石を投げ捨てた。
名声と俗への適応(史記)
- 扁鵲は赴く土地の風習に応じて専門を変えた(邯鄲では婦人科、雒陽では老人科、咸陽では小児科)と伝えられる。その名声を妬んだ秦の太医令李醯に刺客を送られて殺されたが、後世の脈診の学は扁鵲に始まるとされる。
文摯と龍叔の問答(列子)
- 栄辱・生死・貧富・親疎いずれにも動じない龍叔の心を診た文摯は、「その心は方寸の空間がほとんど聖人に近いが、六つの心の穴のうち一つだけ通じていない。これはもはや自分の浅い術では治せない、聖智そのものが病のようなものだ」と評した。
文摯、斉王のために身を捨てる(呂氏春秋)
- 斉王の重病を治すため招かれた文摯は、太子に「王の病は治せるが、治療のためには王を激怒させねばならず、それは自分の死を招く」と告げた。太子と王后が命に代えて弁護すると約束したため、文摯は約束の刻限に何度も遅れて王を怒らせ、無礼を重ねて王を激怒させることで病を治した。しかし怒りの収まらない王は、太子らの必死の嘆願にもかかわらず文摯を釜茹でにし、三日三夜経ても顔色が変わらぬのを見て、陰陽の気を絶つよう釜に蓋をさせてついに文摯を死なせた。忠を治世に尽くすは易しいが乱世に尽くすは難しいとされ、文摯は太子のために義を成すべく、自らの死を承知で治療に臨んだと評される。