繹史楚の江乙と昭奚恤の怨み(楚の江乙、昭奚恤の怨み)

江乙の讒言と諫言

  • (戰國策より)魏の使者江乙は楚王に、「楚の風俗は人の善は隠さず悪は言わないというが本当か」と探りを入れ、州侯(昭奚恤)が国政を専断していることを暗に批判した。
  • 同・北方諸国が昭奚恤を恐れるという噂について、羣臣が答えられぬ中、江乙は「虎が狐を食おうとした際、狐が『我は天帝の使いだ』と偽り、獣が虎を恐れて逃げるのを虎が狐を恐れたのだと誤解した」という寓話(虎の威を借る狐)を引き、実は楚王の兵力を恐れているのであって昭奚恤個人の威ではないと説いた。
  • 同・昭奚恤と彭城君が王前で議論した際、江乙は「両者とも正しい」とだけ答え、賢を憚る態度を示した。
  • 同・江乙は梁の山陽君の封地を昭奚恤に反対させたうえで、その反対を口実に昭奚恤への不満を煽った。
  • 同・魏が昭奚恤を讒言した際、昭子(昭奚恤)は「君臣の間を他国に漏らす者は信用ならない」として王に釈明し、王は動じなかった。
  • 同・江乙は「井戸に小便した犬が、それを告げようとする隣人を吠えて近づけさせない」という喩えを引き、昭奚恤が自らの不正(魏の宝器を横領した疑い)を隠すため江乙の讒言を恐れていると説いた。
  • 同・江乙は「人の善のみを聞く王は、悪事も見逃してしまう」と説き、善悪両方を聞くべきだと楚王に勧めた(実質は昭奚恤への中傷の布石)。

安陵君への遊説

  • (戰國策より)江乙は寵臣安陵君に、色(容色)による寵愛は財による交わりと同じく長続きしないと説き、王のために殉死を申し出て忠誠を示すよう勧めた。安陵君は当初三年間実行しなかったが、江乙に促され、楚王が雲夢で狩りを楽しみ「この楽しみを共にする者がいない」と嘆いた際、涙ながらに殉死の覚悟を申し出て王を大いに喜ばせ、安陵に封じられた。この逸話は「江乙は謀に長け、安陵君は時を知る者」と評された。

昭奚恤の裁判逸話

  • (戰國策より)郢の未決の訴訟で、客が判決の材料として被告の邸宅を求め、昭奚恤に相談したところ「その者は罪に服さないだろうから邸宅は得られない」と告げ、後にこれが失言であったと悔いた逸話。(韓非子の割注に、昭奚恤が倉の火災の犯人を、茅商人を尋問することで見破った話を付す。)

江乙の母の直言(列女伝)

  • 楚の恭王の時代、郢の大夫であった江乙は宮中の盗難事件の責を負い令尹によって免職された。江乙の母は自らの布が盗まれた際、令尹の管理不行き届きを王に直訴し、「令尹自ら盗んだわけでなくとも、その不明が盗みを招いた点で罪は同じ」と論じた。王はこれに感心し、母への褒賞(金千鎰)を申し出たが母は辞退し、王は「これほど賢明な母の子なら愚かなはずがない」として江乙を再び登用した。(割注:楚恭王は宣王の遠祖にあたり、時代が合わないため記載の誤りの可能性が指摘される。)