- 履歴: 魯における四季の田猟(蒐・苗・獮・狩)と軍事教練を兼ねた行事に関する記事を集めた項目。
田猟の名称と目的
- (左傳・公羊傳・糓梁傳より)桓公四年春、桓公が郎で狩りを行ったことは、時期にかなっていたため「礼」とされた。田猟は春を苗、秋を蒐、冬を狩と呼び、常事としては記録されないが、この時は遠出であったため記録された。田猟の目的は乾豆(祭祀用の乾肉)・賓客のもてなし・君主の食膳の三つとされる。
- (説苑より)四季それぞれの田猟の呼び名(春は蒐、夏は苗、秋は獮、冬は狩)とその作法(幼獣や妊娠中の獣を殺さない、包囲網を全て閉じない等)が説かれ、夏に田猟をしない理由は万物が生長する時期だからだとされる。
軍備を整える大閲・大蒐
- (左傳・公羊傳・糓梁傳より)桓公六年秋の大閲(車馬の点検)、昭公八年秋の大蒐(根牟から商衛にかけての革車千乗を動員)など、軍備確認を兼ねた大規模な蒐狩が記録される。糓梁傳は、蒐狩を通じて武事に習熟することは礼の大きな柱であり、獲物の扱いや射の技量を通じて古人が仁義を重んじ勇力を賤しんだことを示すものだと説く。
- 成公十一年五月、斉帰(成公の母)が薨じたにもかかわらず比蒲で大蒐を行ったことは非礼とされた。