繹史朔閏(朔閏)

  • 履歴: 魯における暦法・朔(ついたち)の告朔・閏月の扱いに関する春秋経伝の記事を集めた項目。

事なき年月も暦の上では記録する

  • (公羊傳・糓梁傳より)隠公六年秋七月、特に事件はなかったが記録された。春秋は四季を欠かさず記すことで一年を成すものであり、事のない時でも季節の始まりは必ず記録するという原則が示される。

「夏五」の欠字

  • (糓梁傳・公羊傳より)隠公十四年の経文にある「夏五」は、続く文字が伝わらなかった疑わしい箇所であるとされる。

分至啓閉の記録

  • (左傳より)僖公五年春正月辛亥朔、日南至(冬至)にあたり、公は視朔の礼を行い観台に登って望気した。春分・秋分・夏至・冬至にはこうした天象を必ず記録するのが礼であった。

閏月の扱いと告朔の乱れ

  • (左傳・公羊傳・糓梁傳より)文公元年、閏三月を置いたのは、先王の正しい暦法(月初めを正しく定め、中気を基準とし、余りを年末に帰す)に反するとされた。文公六年には閏月に告朔を行わなかったことも非礼とされ、暦を正すことは民を治める根本であると説かれる。
  • 文公十六年夏、成公(原文では「公」)が四度視朔(月ごとの告朔の儀礼)を怠ったのは病のためとされたが、糓梁傳はこれを「公が政を厭った」証拠として批判している。