繹史郯(嬴姓子爵、少昊の苗裔)(郯(嬴姓子爵、少昊の苗裔))

  • 履歴: 嬴姓、子爵。少昊氏の子孫と伝えられる国。君主は郯子。

郯伯姫の帰還と郯子の来朝

  • (左傳より)魯の宣公十六年秋、郯伯姫(郯に嫁いでいた魯の女性)が離縁されて魯に帰った。襄公七年春には郯子が来朝し、これが初めての朝見であった。昭公十七年秋にも郯子が来朝し、魯公はこれと宴を共にした。

郯子が語る少昊氏の鳥官制度

  • (左傳より)昭公十七年の宴で、魯の昭子(叔孫昭子)が「少昊氏はなぜ鳥の名で官職を呼んだのか」と尋ねた。郯子は、自分の祖である少昊摯の即位のとき鳳鳥が飛来したため鳥にちなんで官を名づけたと答え、その前の黄帝・炎帝・共工・大皥の各代がそれぞれ雲・火・水・龍にちなんで官を名づけた由来を説明した。さらに、鳳鳥氏・玄鳥氏・伯趙氏・青鳥氏・丹鳥氏・祝鳩氏・鴡鳩氏・鳲鳩氏・爽鳩氏・鶻鳩氏の「五鳩」が民を治める官、五雉が工正・度量の官、九扈が農正の官にあたることを述べ、顓頊以後は近きに則って人事にちなむ官名に改めたと語った。孔子はこれを聞いて郯子に学び、「天子のもとに失われた古の学が、いまや四夷に伝わっている」と人に語った。