繹史戎(魯・衛の間に居る)(戎(魯・衛の間に居る者))

  • 履歴: 魯と衛の間に居住した戎族の集団。

魯と戎との会盟

  • (左傳より)魯の隠公二年春、隠公は潜の地で戎と会い、恵公以来の友好を修めた。戎は盟約を求めたが公はこれを断った。その後改めて盟約を求め、秋に唐で盟い、友好を修めた。
  • (糓梁傳より)会盟とは、外にあって主導する者を言う。義を思慮し、仁を守る者であって初めて出て会することができる。戎との会は隠公にとって危険な行為であった。
  • (左傳より)桓公二年、桓公は戎と唐で盟い、旧好を修めた。冬、桓公は唐より帰り、宗廟に報告した。すべて君主の外出は宗廟に告げ、帰れば「飲至」の礼を行い、爵を献じて功を記すのが礼であった。二国だけの会盟では往復とも「地」を記し、三国以上では往くときは「地」、来るときは「会」と記して事の成立を示す。
  • (糓梁傳より)桓公には正当な会がないのに、これを「致(帰還を告げる)」と記したのは、その事を遠く咎める意である。
  • (左傳より)荘公十八年夏、桓公は済水の西で戎を追い、その事実を隠すため「来た」とは記さなかった。
  • (公羊傳・糓梁傳より)中国の側から夷狄を「追う」と記す例は珍しく、この記述は中国が備えをもって迎え撃ったことを大きく評価する意を含む。