繹史州(姜姓公爵、神農の後)(州(姜姓公爵、別名淳于、神農の後裔))

淳于公の出奔(左傳・公羊傳・穀梁傳)

  • (左傳より)桓公5年冬、淳于公が曹に赴き自国の危機(存続の危うさ)を推し量ったが、そのまま帰国しなかった。
  • (左傳・公羊傳・穀梁傳より)6年春、曹から魯へ来て「寔来(ただ来ただけ)」と記された。これは自国へ戻らなかったことを示す書き方で、諸侯が過失(自国を失うこと)を理由に他国へ身を寄せたことを暗に批判する表現とされる。