繹史多く聞く(多聞)

五帝の由来

  • (家語より)季康子の問いに、孔子は老耼から聞いた説として、天の五行(水火金木土)を司る神を五帝と呼び、太皥は木に、炎帝は火に、黄帝は土に、少皥は金に、顓頊は水に配されると説いた。木徳から始まる五行相生の順に諸王が代を継ぐとし、勾芒・祝融・蓐収・玄冥・后土という五正(五行の官)と五帝との違い、夏殷周それぞれの徳・色・儀礼の相違(夏は金徳で黒を尚び、殷は水徳で白を尚び、周は木徳で赤を尚ぶ)、堯は火徳で黄、舜は土徳で青を尚んだこと、なぜ唐虞夏殷周の王が皆五帝に配されるわけではないかについて、順を追って詳しく説き明かした。

欹器の教え

  • (家語・荀子・文子より)魯の桓公の廟にあった「宥坐の器」(空なら傾き、中庸なら正しく立ち、満ちれば覆る器)を見た孔子は、これを明君が戒めとして座右に置いた器だと説明し、実際に水を注いで見せた。満ちれば覆るのを見て「物は満ちて覆らぬものはない」と嘆じ、子路の問いに答えて、聡明さは愚を以て、功績は謙譲を以て、勇力は怯を以て、富貴は謙を以て守るべきだと説いた。

琴を学ぶ

  • (家語・韓詩外伝より)師襄子に琴を学んだ孔子は、曲・数(技法)・志(意図)・その人(作曲者の人柄)へと段階的に理解を深め、ついに「近く黮くして遠く望むが如し、これは文王の操(曲)にほかならない」と作曲者を言い当て、師襄子はその聡明さに驚嘆して席を避け拝礼した。

隼と肅慎の矢

  • (国語より)陳の宮廷に隼が矢に貫かれて落ちた際、孔子はその矢が肅慎氏が周の武王に貢いだ楛矢石砮であることを見抜き、武王が九夷百蛮に朝貢を促した故事と、大姫を虞胡公に嫁がせた際にこの矢を分与した経緯を詳しく説明し、陳の故府を調べさせると果たしてその通りであった。

防風氏の骨

  • (国語より)呉が越を破った際に会稽で見つかった車一台分もある大きな骨について、孔子はこれが禹が会稽山に神々を集めた際に遅参して誅殺された防風氏の骨であると説明し、山川を守る者・封国を守る者それぞれの神格の階層や、身の丈の極(最も小さい僬僥氏で三尺、最も大きくても十尺程度)についても答えた。

井戸の中の怪異

  • (国語・韓詩外伝より)季桓子が井戸を掘って羊のような姿の缶を得た際、孔子はこれを「土の精である墳羊」と説明し、木石の怪は夔蝄蜽、水の怪は龍罔象であるとして怪異の分類を示した。

石中の書・萍実・商羊の逸話

  • (抱朴子・呉越春秋・家語より)呉王が石中から得た紫文金簡の書を、孔子は禹が仙化した際に封じた霊宝の方(不老長生の法)であると鑑定した(この逸話は後世の付会とされる)。楚王が江中で得た円い赤い実を、孔子は「萍実」という吉祥の兆しで覇者にのみ得られるものと説明し、実際に甘美であった。斉に現れた一本足の鳥は「商羊」といい大雨の前兆であるとし、斉侯が堤防を修めさせたところ、果たして大雨が降ったが斉だけは備えがあり被害を免れた。孔子はこれらをいずれも古い童謡を典拠として説明したとされる。

その他の博識の逸話

  • (衝波伝・論衡・列子より)九尾の鳥を「鶬」と見分けた話、見たこともない猩猩を古歌から言い当てた話、宋の仁義に篤い家に生まれた白い子牛の吉凶を占い、その予言と現実の因果が複雑に絡み合った話などが伝わる。東遊の際に日の出と正午でどちらが太陽に近いかを論じ合う二人の童子に、孔子が判断を下せなかった有名な話も記される。淮南子には項託という七歳の童子が孔子の師となったとする伝承も引かれる。

学識の限界

  • (韓詩内伝より)泰山で封禅した者は古来一万余家に上るとされ、孔子ですらそのすべてを知り尽くすことはできなかったと伝わる。

文字・言葉の由来(説文等より)

  • 孔子は文字や言葉の成り立ちについて、「王」の字は一(天地人)を貫く三画から、「士」の字は十を推して一に合わせる形から、「烏呼」は気を助ける音から、「牛」「羊」の字は形をかたどったもの、「狗」は吠えて守る音から、「貉」は「悪」の意から、「粟」は「続」の意からと、多くの語源解釈を述べたとされる。魯の宝玉「璠璵」についても「遠くから見れば輝き、近くで見れば潤いがある」とその美を評した言葉が伝わる。