繹史儋括(儋括)

  • 履歴: 周の公族、儋季の子。霊王の末年に王子佞夫を擁立しようと図ったが、佞夫自身はこれを知らなかった。景王元年、佞夫殺害の混乱の中で晋へ出奔した。

反乱の企てと佞夫殺害(左傳より)

  • かつて儋季が死んだ際、その子の儋括は王に見えようとして歎いた。単の公子愆期(霊王の御者)がこれを聞いて「ただごとではあるまい」と王に報告し、「哀しむのではなく大望を抱き、目つきは落ち着かず気位が高い、殺さねば必ず害をなす」と進言したが、王は「子供に何がわかろう」と取り合わなかった。
  • 霊王が崩じると、儋括は王子佞夫を王位に立てようと図ったが、佞夫自身はこれを知らなかった。
  • 儋括は蒍を包囲して成愆を追い、成愆は平畤へ逃れた。五月、尹言多・劉毅・単蔑・甘過・鞏成らが佞夫を殺し、儋括・瑕・廖は晋へ出奔した。
  • 『春秋』に「天王殺其弟佞夫」と書かれたのは、罪が王にあるとされたためである。