- 履歴: 周の卿士(王叔氏)。生没年未詳。霊王期に活動し、戎への使者、のち執政をめぐる争いを経て晋へ出奔した。
戎への使いと晋の疑い(左傳より)
- 襄公五年、王命により王叔陳生は戎の晋への背信を訴えたが、晋人はかえって彼を捕らえた。戎に内通しているとの疑いをかけられたためである。
伯輿との政争と出奔(左傳より)
- 襄公十年、王叔陳生は政をめぐり伯輿と争った。王が伯輿を支持したため陳生は怒って出奔し、黄河まで至った。王が呼び戻そうとし、史姣を殺して詫びたが、陳生は都に入らずそのまま留まった。
- 晋の士匄が仲裁に入り、王叔の家臣と伯輿の大夫瑕禽とが王庭で対決した。
- 王叔側の家臣は、身分の低い者が皆この身の上に立とうとすることを難じた。
- 瑕禽は、周の東遷以来七姓が王に功労を尽くしてきたこと、王叔が執政してからは政治が賄賂によって左右され刑罰も寵臣次第となり、官吏軍旅がその富に及ばぬほどであると反論し、大国(晋)の裁定を求めた。
- 晋の范宣子は、天子が是とする者に晋も従うとしたうえで両者に主張の根拠を示させたが、王叔氏は示せず、王叔陳生はついに晋へ出奔した。この出奔は『春秋』には記されていない。王が晋へ知らせなかったためである。
- その後、単靖公が卿士となって王室を助けた。