虢と晉の対立
- (左伝より)桓公十年、虢仲が大夫詹父を王に讒言したが、詹父は王師を率いて虢を伐ち、虢公は虞へ出奔した。
- (左伝より)虞叔は求められた玉と宝剣を献じたが、なお求められることを恐れて虞公を伐ち、虞公は共池へ出奔した。
- (左伝より)荘公二十六・二十七年、虢は晉を再三侵したが、晉の士蔿は「虢は驕り民を無視しているため、いずれ自滅する」として時機を待つよう進言した。
神降の予兆(丹朱・蓐収)
- (左伝より)荘公三十二年、神が莘に降り、周の恵王が内史過に問うと「国の興亡の兆しに神が現れる」と答えた。虢公は神に土田を求め、史嚚は「虢は徳薄く、この土地を得ても長くは保てまい」と予言した。
- (国語より)内史過は夏・殷・周それぞれの興亡に現れた神霊の故事を挙げ、この神は丹朱(堯の子)の霊であり、虢に禍をもたらすと説いた。
- (左伝・国語より)虢公は廟で夢に蓐収(天の刑罰を司る神)を見て恐れたが、これを吉夢として喜んだため、舟之僑は「虢の滅亡は近い」として一族を連れて晉に去った。
荀息の仮道伐虢と虞の滅亡
- (左伝より)晉の荀息は屈産の乗馬と垂棘の璧を虞に贈って仮道を求めた。宮之奇は諫めたが虞公は聞き入れず、晉は虢の下陽を滅ぼした。
- (公羊伝・穀梁伝より)虞は賂を受けて仮道を許した「首悪」であるとし、荀息の計略の顛末(「璧は元のままだが馬の歯は伸びた」との言葉)を詳しく記す。
- (左伝より)僖公五年、晉は再び虞に仮道を求め、宮之奇は「輔車相依り、脣亡びて歯寒し」の譬えで虢と虞の運命共同体を説いたが、虞公は「晉は同族だから害はない」として聞き入れなかった。宮之奇は一族を連れて虞を去り、「虞は臘祭を待たずに滅びる」と予言した。
- (左伝より)晉は虢を滅ぼし、虢公は京師へ出奔。晉軍は帰途に虞を襲い、虞公とその大夫井伯を捕らえて秦の穆姫に媵として送り、虞の祭祀は絶えた。
諸家の異伝
- (新書より)虢君が驕慢で諂いを好み賢臣を退けたために国を失い、逃亡先で御者から諫言を聞かなかったことを悔いつつ餓死したとする説話(内容は他の亡国説話との混同とみられる)。
- (詩「葛生」より)晉献公の好戦により民に喪う者が多かったことを刺る詩とされる。
- (説苑より)東郭の民祖朝が献公に国政への発言権を求めた寓話が付記される。
編者按
- 虢は周室の卿士として重んじられていたが、驕りにより衰え、虞は貪欲により道を誤ったとし、晉の献公が長年虞虢を狙い、機の熟すのを待って一挙に両国を滅ぼした周到さを評する。
- 虢公が京師に出奔しても天子はこれを討伐できず、斉桓公も晉の強大化に容喙できなかったことから、晉の国力の伸長を裏付ける事件として位置づける。