繹史斉桓公の覇業(一)(齊桓公霸業(一))

  • 履歴: 齊桓公(小白)。僖公の子。兄襄公の乱政の後、公子糾との君位争いに勝って即位。鮑叔牙の推挙で仇敵であった管仲を宰相に登用し、内政改革によって覇業の基盤を築いた。本篇は公子糾との争い・管仲登用の経緯と、管仲による諸改革・経済政策(軽重の術)を集中して収める。

三分定策(管子)

  • (管子より)僖公は公子諸兒(襄公)・公子糾・公子小白を生み、鮑叔は小白の傅役となることを固辞したが、管仲は「国を保つ者が誰になるか分からぬ以上、辞退すべきではない」と説き、召忽は「三人は鼎の三脚のようなもの、自分は糾に殉じる」と述べた。管仲は「国人は糾の母を憎み小白に同情している」として小白の将来性を見抜いていたとされる。

襄公の乱政と公孫無知の乱(荘公八~九年)

  • (左傳より)襄公は連稱・管至父の戍役の約束を違え、従妹を寵愛の約束で丁重に扱わなかったため恨みを買った。これに公孫無知(襄公に冷遇された従弟)の不満が結びつき、猪を彭生の亡霊と見て怯えた襄公は貝丘で殺害され、無知が自立した。鮑叔は小白を奉じて莒へ、管仲・召忽は糾を奉じて魯へ、それぞれ難を避けて出奔した。
  • (左傳・史記より)翌年、無知も雍林で殺され、莒にいた小白と魯にいた糾が共に帰国を急ぎ、小白が先に入国して桓公となった(乾時の戦いで魯軍が敗れる)。管仲は道中小白を射たが帯鉤に当たり、小白は死を装って先着した。

糾の死と管仲の生還(荘公九年)

  • (左傳・公羊傳・榖梁傳より)桓公は鮑叔を通じて魯に糾の誅殺と管仲の引き渡しを要求、糾は生竇で殺され召忽は殉死したが、管仲は「生きて国に尽くす」道を選び囚われの身で斉に送られた。
  • (国語・管子・史記より)鮑叔は魯の重臣施伯が管仲の才を惜しんで登用しようとするのを見越し、「戮するためと偽って引き渡しを求めよ」と桓公に進言、施伯の反対(管仲を用いれば魯の脅威になるとの警告)も及ばず、管仲は斉へ護送された。鮑叔は堂阜で桎梏を解き、斎戒して桓公に引き合わせた。
  • (呂氏春秋・韓非子より)護送の道中、管仲は歌を役夫に歌わせて足を速めさせ、飢えては綺烏の関守に食を乞うたなど、逃避行の逸話が伝わる。

管鮑の交わり

  • (史記より)管仲自身が「我を生みしは父母、我を知るは鮑子なり」と述べたとされる有名な回想(若い頃の商売の利益分配、三仕三黜、三戦三走などを鮑叔がすべて理解し許した逸話)が引かれる。
  • (説苑・韓詩外伝より)鮑叔の死に管仲が慟哭したという逸話も付記される(編者は年代的な矛盾を指摘する注記を付す)。

桓公による管仲重用(国語・管子・史記)

  • (国語より)鮑叔は宰相の任を固辞し「寛恵柔民・治国不失其柄・忠信結民・制礼義・執枹鼓」の五点で自分は管仲に及ばないと述べ、管仲登用を進言した。
  • (管子より)桓公は管仲を「仲父」と号し、爵位・領地・市租の一年分を与えて厚遇し、貧・賤・疎の三つの障害(身分が低い、貧しい、血縁が疎い)を克服させて初めて国政を任せられたとされる。
  • (韓非子より)これに対し「管仲は君主の威を借りているに過ぎず、殊更に高国仲父の尊称が必要だったわけではない」との批判的異論(或曰)も併せて記される。

内政改革(国語「参其国而伍其鄙」)

  • (国語より)管仲は士農工商の四民の雑居を禁じ、それぞれを閑燕・官府・市井・田野に居所を分けて専業化を進め、技能の世襲を促した。
  • (国語より)国を二十一郷(工商六郷・士十五郷)に分け、公・国子・高子がそれぞれ五郷を統率する軍事・行政制度(内政に軍令を寄せる仕組み、五家一軌~五郷一軍の編成)を定めた。
  • (国語より)正月の朝見で郷長が「孝悌・才徳ある者」「勇力ある者」「不孝不悌な者」をそれぞれ報告する義務を負う人材登用・監察の制度(郷挙里選の原型)が詳述される。
  • (国語より)鄙(辺境)についても三十家一邑から五属に至る行政区画を定め、同様の人材登用制度を敷いた。

対外政策と諸侯懐柔(国語・管子)

  • (国語より)桓公は「まず隣国と親しむべし」との管仲の進言に従い、侵地の返還や軽い貢納で四隣を懐柔し、遊説の士を四方に派遣して天下の賢士を招いた。
  • (管子より)魯・衛・燕をそれぞれ主とする対外遠征の名分立て、山戎討伐、召陵・葵丘の会など、桓公が諸侯を糾合し天子(周)を尊んで覇を唱えた経緯が総括的に記される。魯の慶父の乱、邢・衛の狄害に対する救援(夷儀・楚丘への封建)も、桓公の徳による諸侯懐柔の実例として引かれる。

経済政策(軽重の術)

  • 本篇後半は『管子』軽重諸篇(臣乗馬・山國軌・山權數・國准・海王など)からの抜粋で占められ、いずれも桓公と管仲の問答形式をとる。要旨は次の通り。
  • 「乘馬」「臣乘馬」:農事の適期(春耕二十五日など)を国家の徴発・築造で奪ってはならないという、時を守る統治論。
  • 「山國軌」:田畑・人口・物価を郷県ごとに把握し記録する「軌」の制度により、民から直接搾取せず国家財政を運営する仕組み。
  • 「海王」:塩・鉄の専売(塩筴・鉄官)によって、直接の人頭税に頼らず莫大な国庫収入を得る方法を数値を挙げて説く。
  • 「山權數」「國准」:豊作・凶作に応じて穀物や貨幣の軽重(相対価値)を国家が操作し、民の負担を均すことで富国を図る「軽重の術」の理論。
  • これらの篇は数量計算を多用する専門的な財政・物価統制論であり、後世「管子軽重篇」として経済思想史上重要視される部分である。

桓公・管仲の言行録

  • (管子・韓非子・説苑より)桓公と管仲・鮑叔らの間で交わされた種々の問答(賢者登用の要諦、権力の集中と信頼、諫言の重要性、驕奢を戒める逸話など)が断片的に多数収録される。
  • 桓公が管仲を「仲父」と呼ぶことを恥じず、優人に「一に仲父、二に仲父」と揶揄されても意に介さなかった逸話(韓非子。ただし編者はこれを「君主の楽をせぬ姿勢を疑わせる誣言」と評する異説も併記されると注記)。
  • 寧戚が牛飼いから桓公に見出された経緯(呂氏春秋・列女傳・管子。「浩浩乎白水」の謎かけを管仲の妾婧が解いた逸話を含む)。
  • 桓公が五人の臣(隰朋・寧武・成父・東郭牙・弦商)にそれぞれ適材適所の職を委ねた逸話(韓非子・呂氏春秋)。
  • 「四称」篇:桓公が管仲に「昔の有道の君・無道の君・有道の臣・無道の臣」について問い、管仲が体系的に回答する長い問答。
  • 「嘖室之議」:黄帝の明台、堯の衢室、舜の告善の旌など、古の聖王が言路を開いた故事にならい、桓公が「嘖室(諫言を受け付ける部屋)」を設けた逸話。

編者按

本篇には編者による総括的な按語は付されておらず、諸書からの引用のみで構成される。