繹史(伝わり曲沃、晋を併す)((傳而曲沃并晉))
『史記』世家などにより、晉・楚・呉三国の始祖からの世系を年表的に集める(表題は次ファイルの「曲沃、晉を併せる」記事に続く導入部)。
晉の世系(唐叔虞から昭侯まで)
- (史記より)唐叔の子・燮が晉侯となり、以後、寧族(武侯)・服人(成侯)・福(厲侯)・宜臼(靖侯)と継ぐ。靖侯以前は在位年数が伝わらず、靖侯十八年に没して子の釐侯司徒が立つ。
- (詩經より)「蟋蟀」は晉の釐侯(僖公)を刺る詩とされ、倹約が過ぎて礼に適わぬ様を閔れみつつも、堯の遺風が残る国風として評価される。
- (史記より)釐侯の後、獻侯籍・穆侯費王と継ぎ、穆侯没後は弟の殤叔が自立し太子仇は出奔するが、四年後に仇が殤叔を討って文侯となる。文侯仇は三十五年で没し、子の昭侯伯が立つ。
楚の世系(熊繹から武王まで)
- (史記より)熊繹の後、熊艾・熊䵣・熊勝(弟の熊楊を後継とする)・熊楊・熊渠と継ぐ。熊渠は夷王の代、王室の衰えに乗じて庸・楊粤を討ち鄂に至り、「我は蛮夷なり、中国の号諡に与らず」として三子をそれぞれ句亶王・鄂王・越章王に立てたが、厲王の暴虐を畏れてのちに王号を取り下げたとする。
- (史記より)熊渠没後、熊摯紅・熊延・熊勇・熊嚴・熊霜・熊徇・熊咢・熊儀(若敖)・熊坎(霄敖)・熊眴(蚡冒)と継ぎ、蚡冒の弟熊通が蚡冒の子を弑して楚武王となる。
- (韓非子より)楚の卞和が玉璞を得て厲王・武王に献じるも石と鑑定され両足を切られ、文王に至ってようやく名玉「和氏の璧」と認められた説話が付記される(原注はこれを蚡冒代の逸話と推定する)。
呉の世系(周章から夀夢まで)
- (史記より)周章の後、熊遂・柯相・彊鳩夷・餘橋疑吾・柯盧・周繇・屈羽・夷吾・禽處・轉・頗髙・句卑・去齊と継ぎ、去齊の後に夀夢が立って呉は大国となる(夀夢の代に至って初めて『春秋』に見えるようになる)。