繹史曲礼(曲禮)
『禮記』の「曲禮」「少儀」「雑記」「玉藻」「檀弓」などから、日常生活の細目にわたる礼の規定を集成する。
礼の総論・心構え
- (禮記「曲禮」より)「敬まざる毋かれ」に始まり、驕らず、欲を恣にせず、楽しみを極めず、財に臨んで安易に得ず、難に臨んで安易に免れず、といった君子の基本姿勢を説く。賢者には親しみつつ敬い、憎む者にもその善を認めるなど、感情に流されぬ態度を求める。
- (禮記「曲禮」より)礼は親疎を定め、嫌疑を決し、同異を分かち、是非を明らかにするものであり、みだりに人を喜ばせたり無駄口を叩いたりせず、節度と謙譲をもって行うべきだとする。
- (禮記「曲禮」より)道徳仁義も、教訓や風俗の是正も、争いの裁定も、君臣父子の秩序も、みな礼によらねば成り立たない。鸚鵡や猩々が言葉を話しても禽獣であるように、人も礼を知らねば禽獣と変わらないとし、聖人が礼を作って人と禽獣を分けたと説く。
- (禮記「曲禮」より)徳を貴ぶことが第一で、次に施しと返礼(往来)を重んじる。礼を知る者は安んじ、知らぬ者は危うい。富貴の者ほど礼を好めば驕らず淫せず、貧賤の者も礼を好めば志を失わないとする。
- (禮記「少儀」より)博く問い強く記憶しながらも謙譲を忘れず、善行に飽きぬ者を君子と呼び、人の歓びや忠を出し尽くさせぬことで交わりを全うするとする。他人の秘事を覗かず、旧知を軽々しく話題にせず、戯れの表情を見せぬなど、慎み深い交際の作法も述べる。
君臣の道と諫言
- (禮記「雑記」より)君子には「未だ聞かざるを患う」等の三患、「位に居て言なし」等の五恥があるとし、卿大夫の恥として辺境の防備の乱れ・国土荒廃を挙げる。
- (禮記「曲禮」「少儀」より)人臣たる者は主君を諫めても表立って恥をかかせず、三度諫めて聞き入れられなければ立ち去るのが礼であり、子が親を諫める場合は聞き入れられずとも泣いて従うとする。君・親が病めば臣・子がまず薬を試すべきだが、三代続く医者でなければその薬は服さないと注記する。
- (禮記「雑記」より)内乱には関わらず、外患も避けるのが人臣の分とし、他国の軍を謀って敗れれば死をもって償い、他国の邑を謀って危うくすれば亡命をもって償うのが君子の道とする。国が大県邑を失えば、公卿大夫士はみな喪冠をつけ廟で三日哭くなど、国難への対応も定める。
出仕・出入りの作法
- (禮記「曲禮」「玉藻」より)大夫・士が君の門を出入りする際は右の柱際を通り敷居を踏まぬ、公事は西寄り私事は東寄りを通るなど、細かな所作が定められる。君命の使者は帰宅せず直ちに任務にあたり、復命の作法も厳格に定められる。
- (禮記「曲禮」より)書物や占い道具は君前で粗略に扱えば咎めを受け、喪服・凶器は公門に持ち込めないなど、宮中に立ち入る際の禁忌が列挙される。
- (禮記「曲禮」より)君子は他国に移っても風俗を変えず、故国の祭祀・喪服・哭泣の位を守り通す。亡命三代を経て爵禄が朝に残っていれば宗家に報告を続けるが、それを過ぎれば新しい国の法に従うとする。大夫・士が国境を越える際の素服・儀礼、国君が国を去る際の哀惜の言葉(社稷・宗廟・墳墓を去ることを嘆く句)も記される。
天子・諸侯の称号と自称
- (禮記「曲禮」「玉藻」より)天子は「天子」「予一人」、即位して政事に当たれば「践阼」、祭祀の内事には「孝王某」、外事には「嗣王某」と呼び方を使い分ける。崩御・諡・服喪解除の各段階でも呼称が変わる。
- (禮記「曲禮」より)天子は天官(大宰・大宗・大史・大祝・大士・大卜)、五官(司徒・司馬・司空・司士・司寇)、六府(司土・司木・司水・司草・司器・司貨)、六工を建てて政務を分掌させるとする。
- (禮記「曲禮」より)諸侯は天子に対して同姓なら「伯父」、異姓なら「伯舅」と呼ばれ、天子への自称は「臣某侯某」、民への自称は「寡人」など、身分・場面ごとに呼称が細かく規定される。国君の子・大夫士の子もそれぞれ天子の子と紛れぬ自称の制約を受ける。
器物・服飾の制
- (禮記「雑記」「玉藻」より)諸侯を封じる際の圭の寸法(公九寸・侯伯七寸・子男五寸)、天子の笏(球玉)・諸侯(象)・大夫(魚須文竹)の別、笏を持つ作法(盥手して持つ、朝廷では帯びるが太廟では外すなど)が記される。
- (禮記「玉藻」より)天子の冕は十二旒、諸侯は九旒、上大夫は七旒、下大夫は五旒、士は二旒と身分により差がある。天子・諸侯それぞれの視朝・聴朔・食事の作法(皮弁で日々の朝、玄端で祭、朝服で食するなど)も細かく定められる。凶年には天子・諸侯とも膳を減らし、車馬・徴税・土木を控えるとする。
- (禮記「深衣」「玉藻」より)深衣の裁断(十二幅で十二月を象る、袂は円く規に応じ、下裾は権衡のごとく平らにするなど)に込められた意味を説き、朝は玄端、夕は深衣を着る使い分けを述べる。裘(毛皮衣)・帯・韠(前掛け)の色・寸法も身分ごとに定められる。
- (禮記「玉藻」より)王后・夫人・命婦の服(褘衣・揄狄・屈狄など)、童子の服飾(錦の縁取りをした緇布衣など)、佩玉の音(歩くときの鏘鳴)とその意味(比徳)などが記される。
立ち居振る舞いと容儀
- (禮記「玉藻」より)君子は日々の起居・沐浴・服装・出仕の所作まで一定の作法に従い、歩き方も君・尸に随う者と士とで歩幅が異なるなど、場に応じた歩容(趨・行歩)が定められる。天子・諸侯・大夫・士・庶人でそれぞれ「穆穆」「皇皇」「済済」「蹌蹌」「僬僬」という容儀の理想が示される。
- (禮記「曲禮」「少儀」より)喪礼と吉礼とで態度を変える(喪は急いでも節を乱さず、吉事は控えめでも怠らない)とし、堂の上下・室の内外での歩き方、器物を持つ際の作法(虚器も実が入っているかのように恭しく扱う)などが列挙される。
弔問・慎みの日常作法
- (禮記「曲禮」「少儀」より)墓に登らない、葬送を助ける、喪家では笑わない、柩を見れば歌わない、隣に喪があれば臼をつかない、里に殯があれば路上で歌わないなど、日常における哀悼の示し方が細かく列挙される。
- (禮記「曲禮」より)公の場で婦女や私事を語らない、他家を訪ねる際の声のかけ方・敷居の跨ぎ方・履物の扱い、離れて座る・立つ者の間を横切らない作法なども定められる。
年長者・目上への接し方
- (禮記「曲禮」より)人の年齢を尋ねる際は身分に応じた婉曲な問い方をし、国君・大夫・士・庶人それぞれの子の年齢の答え方、富の問い方(山沢の産・車馬の数・家畜の数など)も定型化されている。
- (禮記「曲禮」より)十歳を「幼学」、二十歳を「弱冠」、三十歳を「壮」、四十歳を「強」、五十歳を「艾」、六十歳を「耆」、七十歳を「老」、八九十歳を「耄」、百歳を「期頤」と呼ぶなど、年齢ごとの称と役割(出仕・退官の時期)を定める。年長者への随行・言葉遣い・侍坐の作法(呼ばれれば直ちに立つなど)も細かく規定される。
食事の作法
- (禮記「曲禮」「玉藻」より)年長者や君子に陪食する際は、まず祭って毒見をし、飯を丸めない、こぼれるほど頬張らない、汁を吸わない、骨をかじらない、犬に骨を投げ与えないなど、多数の食事禁忌が列挙される。食器の並べ方(左に肴、右に肉塊、羹は右手側など)や、果物・魚肉の扱い方も定型がある。
- (禮記「内則」より)牛には稲、羊には黍、豚には稷が合うといった食材の組み合わせ、春夏秋冬それぞれに適した膏(脂)の種類、淳熬・炮豚・擣珍・漬・為熬など特殊な調理法の手順が記される。
贈答・献上の礼
- (禮記「曲禮」「少儀」より)君主へ物を献上する際、士は献上物について問われて初めて由来を答える謙譲を守り、大夫は自ら拝礼せず使者を通す。獻上品の種類(魚・鳥・車馬・甲・杖・穀物など)ごとに持ち方・差し出し方が細かく定められ、弓剣を人に贈る際の握り方の作法も記される。
乗車・路馬の礼
- (禮記「曲禮」「玉藻」より)君の車が出る際の僕(御者)の所作、乗車時の礼(式=会釈の姿勢を取るべき対象)、路馬(君の馬車馬)を敬う諸規定(芻の量を誤れば罰せられるなど)が記される。
卜筮・軍陣・田猟の礼
- (禮記「曲禮」「玉藻」より)外事は剛日、内事は柔日に卜し、卜筮は三度を超えず、同じことを重ねて占わないという原則を示す。行軍時の旗の使い分け(前に水あれば青旌、塵あれば飛鴻の旗など)、天子・諸侯の狩猟の作法(三方を囲まず、繁殖期を避けるなど)も述べられる。