繹史廟制(廟制)

『禮記』王制・祭法・曲禮・雑記・大戴禮記等から、宗廟の数と祭器の扱いに関する規定を集める。

廟の数(身分による差)

  • (禮記「王制」より)天子は七廟(三昭三穆と太祖廟)、諸侯は五廟(二昭二穆と太祖廟)、大夫は三廟(一昭一穆と太祖廟)、士は一廟、庶人は寝室で祭るという、身分に応じた廟数の規定を示す。

廟・祧・壇・墠の序列

  • (禮記「祭法」より)天子の七廟に加えて「壇」「墠」を設け、遠い祖先は廟から祧(うつし)へ、さらに壇・墠へと祀りの場を移していき、最後は「鬼」として特に祀らなくなる。諸侯・大夫・適士・官師とそれぞれ廟数が減るごとに、この序列も簡略化される。

祭祀対象の呼称

  • (禮記「曲禮」より)祭る対象を、祖父は「皇祖考」、祖母は「皇祖妣」、父は「皇考」、母は「皇妣」、夫は「皇辟」と呼び、生前は父・母・妻、死後は考・妣・嬪と呼び方が変わる。支子(庶子)は祭ることができず、必ず宗子(本家の当主)に告げてから行う定めも記される。

廟を建てる際の儀(釁廟)

  • (禮記「雑記」より)新しく廟を造ると、羊や鶏の血を用いて清める「釁(きんびょう)」の儀を行う。祝・宗人・宰夫・雍人がそれぞれ役割を分担し、屋根に上って羊を捌き、血を滴らせる作法や、事後に君へ報告する手順が詳細に記される。割注には『大戴禮記』にみえる釁廟・遷廟(廟を新造の地へ移す儀)の全文が付され、遷廟に際して先祖への告文(祝詞)の文言も収められる。

祭器の扱い

  • (禮記「曲禮」より)君子は住まいを造る際、まず宗廟を優先し、次に厩・庫、最後に居室を建てる。家を興す際も祭器を最優先に整えるべきとし、貧しくとも祭器は売らず、寒くとも祭服は着つぶさないとする。祭器・祭服・亀甲などが古くなれば、焼く・埋めるなどして適切に処分する定めも記される。

供物の美称

  • (禮記「曲禮」より)宗廟の祭りで用いる供物には特別な美称があり、牛は「一元大武」、豕は「剛鬛」、羊は「柔毛」、鶏は「翰音」、犬は「羮獻」、玉は「嘉玉」、幣は「量幣」などと呼ぶ。天子は犠牛、諸侯は肥牛、大夫は索牛、士は羊・豕を用いるという身分差もある。

庶人・大夫士の祭祀

  • (禮記「王制」より)田を持つ大夫・士は宗廟で正式に祭り、田を持たない庶人は季節の初物(春は韭、夏は麦、秋は黍、冬は稲)を薦めるにとどまる。

殤(若死した子孫)の祭祀範囲

  • (禮記「祭法」より)王は適子・適孫から適玄孫・適来孫まで五代の殤を祀り、諸侯は三代、大夫は二代、適士・庶人は自分の子までにとどめるという、身分による祭祀範囲の差が定められる。