繹史祭祀の意義(祭義)

『禮記』祭義・郊特牲・禮器・祭統・祭法・爾雅等から、宗廟祭祀の頻度・作法・精神と、四季の祭りの名称・意義を集める。

祭りの頻度と心構え

  • (禮記「祭義」より)祭りは頻繁すぎても煩わしく敬意を失い、疎すぎても怠り忘れてしまう。天道に合わせ、春は禘(禘祭)、秋は嘗を行うとし、霜露が降りる頃には悲しみの心が、春の雨露に濡れる頃には会いたいと願う心が自然と湧くとする。禘祭には楽を奏でるが、嘗祭には奏でない。

斉戒(祭前の心身の準備)

  • (禮記「祭義」「郊特牲」より)祭りの前は、内では厳粛に、外では日常のまま慎み(致齊・散齊)、故人の暮らしぶり・笑い声・志・好んだ物を三日間思い続けることで、祭りの日には故人の姿がありありと目に浮かぶようになるとする。

祭祀の場に現れる故人の気配

  • (禮記「祭義」より)祭りの日、室に入ればそこに故人がいるかのように感じ、退出しようとすればため息の音が聞こえるような気がする。孝子はこうして生涯、故人の姿・声・志を忘れずに敬愛し続けるとする。

饗帝と臨尸の心構え

  • (禮記「祭義」より)聖人だけが天帝を饗することができ、孝子だけが親を饗することができるとし、孝子は尸(祖先の代理)を前にしても恥じることがないと説く。君が牲を牽き、夫人が酒器を奉げ、卿大夫・命婦がそれぞれ助ける様子が、敬い深く忠実であると描写される。

祭りの準備と当日の心得

  • (禮記「祭義」より)孝子は祭りに先立ち、事の段取りを十分に考え、供物を早めに揃え、宮室を整え、夫婦で斎戒沐浴して臨む。祭りの当日は、進退のすべてが敬意にかない、あたかも神の命を受けるかのように振る舞うべきとし、逆に立ち姿が屈まない、進み方に慎みがない、供物を捧げる態度に愛情がないなどは、祭りの本義に悖ると戒める。

三代の祭祀観の違い

  • (禮記「郊特牲」「祭義」より)有虞氏は気(血や生の肉)を尚び、殷人は声(音楽)を尚び、周人は臭(かおり、鬯酒や蕭〈よもぎ〉を焚く香り)を尚ぶというように、時代により祭祀で重んじる要素が異なるとする。魂は天に、魄(肉体)は地に帰るとする陰陽観に基づき、殷は陽(声)を、周は陰(臭)を先に求めるとする。

祊(門内の祭場)の意義

  • (禮記「郊特牲」より)祝を室で行い、また祊(廟門内側の祭場)でも行うのは、神がどこにいるか分からないため、あらゆる場所で求めようとする姿勢の表れであるとする。毛血・肺肝・黍稷・明水など、供物それぞれに込められた意味(純を貴ぶ、陰陽に応じる等)が説明される。

供物の質朴さを尊ぶ理由

  • (禮記「祭義」「禮器」より)恒豆の菹(塩漬け野菜)や加豆の醢(塩辛)など、多様な品を供えるのは、単に食味のためではなく神明と交わるための礼であるとする。酒や明水、粗末な布、蒲の敷物などをあえて質朴なまま用いるのも、豪奢を退けて本質を尊ぶ心の表れであると説く。

藉田と蚕室(天子・諸侯の農耕儀礼)

  • (禮記「祭義」より)天子は千畝、諸侯は百畝の藉田を自ら耕し(藉田の礼)、そこで得た穀物を供物に充てる。また天子・諸侯は蚕室を設け、夫人・世婦が自ら養蚕して繭を献じ、そこから作った衣で祖先を祀ることで、敬意の極みを示すとする。

祭りの本義(祭統)

  • (禮記「祭統」より)治人の道で礼より急なものはなく、礼の中でも祭りより重いものはないとし、祭りは外から来るものではなく、内から発する敬愛の心から生じるものであるとする。賢者だけが祭りの意義を尽くすことができ、そこに得られる「福」とは物質的な恵みではなく、あらゆる道理にかなった「備わり」を指すと説く。

夫婦で行う祭祀の分担

  • (禮記「祭統」より)祭りは夫婦が共に行うものであり、君が牲を牽き夫人が盎(酒器)を奉げるなど、内外の役割分担があってはじめて祭器・供物が備わるとする。天子は南郊で耕し、王后は北郊で養蚕するというように、天子・諸侯・夫人がそれぞれ農耕・養蚕を実際に行うことで「誠信」を示す。

祭りにみる十の倫理(十倫)

  • (禮記「祭統」より)祭りには「事鬼神の道」「君臣の義」「父子の倫」「貴賤の等」「親疎の殺」「爵賞の施」「夫婦の別」「政事の均しさ」「長幼の序」「上下の際」という十の倫理が表れるとし、それぞれを尸を立てる作法・昭穆の順・俎の骨の配分・餕(お下がり)の分配などの具体的な作法に即して説明する。特に「餕」(祭りの後、身分順にお下がりを分け合う作法)は、恩恵が上から下へ及ぶ政治の縮図であると位置づけられる。

四季の祭りの名称

  • (爾雅「釋天」より)春の祭りを祠、夏を礿、秋を嘗、冬を蒸と呼ぶ。大規模な祭りを禘、既に行った祭りを再び行うことを繹(周では繹、殷では肜、夏では復胙)と呼ぶという名称の違いが記される。
  • (禮記「王制」より)天子・諸侯の宗廟の祭りも春は礿、夏は禘、秋は嘗、冬は烝と呼ばれ、天子は毎季単独の祭りに加えて祫(合祀)も行うが、諸侯は季節ごとに祫と単独祭を交互に行うといった規定の違いが記される。

禘・嘗の重み

  • (禮記「祭統」より)四季の祭りのうち、禘(陽の盛んな祭り)と嘗(陰の盛んな祭り)が特に重んじられ、禘の際には爵位や衣服を賜って陽の徳に応じ、嘗の際には田邑を分け与えたり秋の政令を発したりして陰の徳に応じるとする。

禘祭の対象

  • (禮記「大傳」「喪服小記」より)天子でなければ禘祭を行うことはできず、王者は自らの祖の出自にあたる天帝を禘祭し、その祖を配祀する。諸侯は自らの太祖までを、大夫・士は特別な事情がある場合に限り、主君の許しを得て高祖までを祀るという範囲の違いが定められる。

五帝時代の禘・郊・祖・宗

  • (禮記「祭法」より)有虞氏は黄帝を禘し嚳を郊し顓頊を祖とし堯を宗とする、というように、虞・夏・殷・周それぞれの時代で、禘・郊・祖・宗にあてる対象の祖先が異なっていたと記す。生と死の呼び方(生は命、死は折、人の死は鬼)は五代を通じて変わらないが、禘・郊・祖・宗にあてる祖先は時代により入れ替わったとする。