繹史弔問・贈賻(付載)(弔贈(附))
『禮記』雑記・喪大記・檀弓・曲禮などから、他国・上位者による弔問(弔)と贈物(贈)の作法を集める。
列国からの弔問使の礼
- (禮記「雑記」より)他国から弔問に来た使者は、まず門西で東面して控え、喪主(孤)の求めに応じて廟に入り「寡君、君の喪を聞き、某を遣わして…」と致命し、喪主は拝礼して迎える。含(口に玉を含ませる使者)・襚(衣を贈る使者)・賵(馬・幣を贈る使者)・臨(哭礼に立ち会う使者)が、それぞれ定められた口上と作法で順に儀を行い、通常これらは同日中にまとめて行われる。
- (禮記「雑記」より)上客が「臨」(弔問に立ち会う)を行う際は、喪主が丁重に辞退の言葉を三度繰り返したのち、ようやく受け入れるという定型の問答が記される。
大夫・士の喪への君の弔問
- (禮記「喪大記」より)大夫・士の殯の後に君が弔問に赴く際は、事前に使者を送って知らせ、主人は厚い奠(供物)を準備して出迎える。君は廟門内で祝の先導を受けて位置につき、哭礼に加わる。士の場合は門外で控えるなど、身分により作法が異なる。
- (禮記「喪大記」より)君は大夫の喪には三度、士の喪には一度、病中に見舞う定めがあり、弔問の際は喪服の代わりに殯服(略式の喪装)を着るという規定も記される。
夫人・大夫による弔問
- (禮記「喪大記」より)君の夫人が大夫・士の喪を弔う際、また大夫が自分の主君を弔う際の、出迎え・拝礼・退出の作法がそれぞれ定められる。
喪の軽重による弔問の可否
- (禮記「雑記」より)三年の喪に服している間は、軽い喪であっても他家を弔問しないのが原則である。期(一年)の喪は十一か月で練(喪服を替える儀)、十三か月で祥、十五か月で禫を行い、それぞれの段階を過ぎれば弔問に赴けるようになるなど、服喪の期間と弔問可能な範囲の関係が細かく定められる。
- (禮記「雑記」より)葬送の綍(柩を引く綱)を引く年齢(四十歳以上は引綱を執る)、弔問の際に酒肉を口にしないことなど、弔問に伴う慎みの作法も列挙される。
弔問の心構え
- (禮記「曲禮」「檀弓」より)生きている者への弔いは「弔」、死者への哀悼は「傷」と使い分けるとし、面識の有無によって弔うべきか否かが変わるとする。近隣に喪があれば臼をつかず、里に殯があれば路上で歌わないなど、日常生活における弔意の示し方も述べられる。