繹史禹、禅譲を受ける(啓を付す)(夏禹受禪(后啓附))
- 履歴: 禹は堯より司空・伯禹の官を受け、舜の摂政を経て、舜の崩後に商均へ位を譲ろうとしたが諸侯がみな禹に帰したため即位。国号を夏、姓を姒とした。在位中に洪範・律令の基を定め、有苗を征し塗山で諸侯を会し、東巡して会稽で崩じた。子の啓が禅譲の慣例を破って位を継ぎ、有扈氏を甘で討ってこれを滅ぼしたと伝える。
舜による禅譲の予兆
- (呉越春秋・史記より)舜が禹を司徒から内は虞位を輔け外は九伯を統べさせ、天下がその明度・声楽を宗としたとする。
- (尚書大伝より)五祀に鐘石を奏し、大唐の歌・卿雲の歌を交わして禹への禅譲を予兆づけたとする。
舜と禹の政治問答(大禹謨)
- (書より)禹が「后克艱厥后、臣克艱厥臣」と政の要を説き、益が戒めの言葉(罔遊于逸、罔淫于楽等)を加え、舜が禹に帝位を譲る意志を示すやりとりを記す。
- (書より)皋陶が刑罰の寛厳について論じ、舜がこれに応えるくだりを併載する。
洪範の由来
- (尚書大伝より)禹が上帝に歩みを進め、五事・咎徴・皇極の説(洪範の原型)を述べたとする伝承を詳述する。
有苗の征伐
- (書より)舜が禹に命じて有苗を征させたが服さず、益の「惟徳動天」の諫めにより師を返し、文徳を布いたところ七十日で有苗が服したとする。
- (韓詩外伝・呂氏春秋・墨子より)禹が武力による征伐を主張したが舜が徳化を選んだとする異説と、有苗を天が誅したとする神話的記述を併載する。
即位
- (史記より)舜の崩後、禹は商均に位を譲ろうとしたが諸侯がみな禹に帰したため即位し、国号を夏、姓を姒としたとする。
- (淮南子より)夏后氏の祭祀・服色(青を尚ぶ)を伝える。
治世の姿勢
- (呂氏春秋・鬻子・新書・荀子・説苑・荘子より)禹が食事の間も士を求めて何度も席を立ったこと、罪人を見て涙したこと、伯成子高が禹の代に至って隠棲したことなど、勤勉と謙虚さを物語る逸話を集める。
塗山の会と防風氏の誅
- (呉越春秋・史記より)禹が塗山に諸侯を会し、遅参した防風氏を斬って威を示したとする。
塗山氏との婚姻と啓の誕生
- (呉越春秋・列女伝より)禹が塗山氏の女を娶り啓を生んだが、治水のため三たび家の前を通っても入らなかったとする故事を伝える。
会稽での崩御
- (史記・墨子より)禹が東巡して会稽で崩じ、薄葬されたとする。
益から啓への継承
- (史記より)禹は益に天下を授けたが、益の輔佐が浅く天下の信を得られなかったため、諸侯は益を去って禹の子啓を立てたとする。
- (越絶書・竹書紀年より)益が啓に位を奪われて殺されたとする異伝(「益干啓位、啓殺之」)を併載する。
有扈氏の討伐(甘誓)
- (書・甘誓より)啓が有扈氏を伐つにあたり六卿に誓い、「威侮五行、怠棄三正」の罪を挙げて天罰を行うと宣言したとする。
- (史記より)甘で大戦し有扈氏を滅ぼし、天下が朝したとする。
- (呂氏春秋より)夏后相(異本)が有扈に敗れた後、徳を修めて一年で服させたとする類話を併載する。
編者按
- 堯・舜・禹の禅譲と、禹から啓への世襲への転換について論じる。堯の舜への禅譲は前例のない創挙であり、堯はひたすら天下が舜に速やかに帰することを願って政務を委ねたが、舜・禹の関係も同様に禹の治水の功が天下に浸透していたため禅譲は自然な流れであったとする。一方、禹の崩後は益の徳がいまだ浅く、啓が賢であったため天下が啓に帰したのであり、堯舜の禅譲と一貫した理であって、単なる世襲への逸脱ではないと弁護する。甘誓の言葉も威侮怠棄の罪を糺すものであり、私意による征伐ではないとし、夏后氏の四百年の基がここに始まったと結ぶ。