繹史禹、水土を平らげる(禹平水土)

  • 履歴: 夏后氏、姓は姒、名は文命、字は高密。父は鯀、祖は帝顓頊、曾祖は昌意、高祖は黄帝とする系譜を伝える。父鯀の治水失敗を継ぎ、十三年間家を顧みず洪水を治め、九州を定めて貢賦の制を立てた。舜より禅譲を受ける前段として司空に任じられ、四方を巡って山川を治めたと伝える。

出生の伝承

  • (呉越春秋・帝王世紀ほかより)母女嬉(修己)が薏苡を呑み、あるいは流星に感応して禹を石紐に生んだとする神秘的な出生譚を伝える。

父鯀の治水失敗と誅

  • (書・史記より)堯の代、鯀が四岳の薦めで治水にあたったが九年成らず、舜が視察してその無能を確認し、羽山で誅されたとする。
  • (山海経より)鯀が天帝の息壌を盗んで洪水を防ごうとしたため祝融に殺され、その死体から禹が生まれたとする神話を伝える。

禹の登用と献身

  • (史記より)舜が鯀の子禹を挙げて治水の業を継がせ、禹は敏給で徳篤く、十三年間家に入らず、粗衣粗食に甘んじて溝洫の整備に費やしたとする。
  • (鹽鉄論・呉越春秋・尸子より)足の裏が擦り切れ「禹歩」と呼ばれる歩き方になったとする逸話を伝える。

治水の方法と範囲

  • (呂氏春秋より)禹が東西南北の果てまで巡り、賢人を求め、地の利を尽くしたとする。
  • (淮南子・史記より)三江五湖を疏通し、伊闕を闢き、瀍澗を導き、洪水を海に注がせて九州を安んじたとする。共工の臣相柳を殺し、その地を池としたという神話も併載する。

黄河の治水

  • (史記より)積石から龍門・華陰・砥柱・孟津・大邳を経て、二渠に分けて河を導き、九河を経て勃海に注がせたとする。

会稽・宛委山の伝説

  • (呉越春秋より)禹が衡山(後の会稽)に登り、夢に現れた玄夷蒼水使者の教えに従って宛委山で金簡玉字の書を得て治水の理を悟ったとする神話を伝える。

山海の調査と『山海経』の由来

  • (呉越春秋・論衡より)禹が益・夔らと山川を巡り、鳥獣・鉱物・民俗を記録させたのが『山海経』の由来であるとする説を伝える。

治水にまつわる神異譚

  • (淮南子より)禹が江を渡る際、黄龍が舟を負ったが動じなかったとする逸話。
  • (岳瀆経・拾遺記より)淮渦の水神巫支祈を庚辰に命じて捕らえ、亀山に鎖したとする神話や、龍門の洞穴で神蛇(羲皇)から玉簡を授かったとする話を伝える。

禹貢(九州の地理と貢賦)

  • (書・禹貢より)冀州・兗州・青州・徐州・揚州・荆州・豫州・梁州・雍州の九州について、それぞれの土質・貢物・水路を詳細に記す。
  • (書より)九山・九川を整え、五服(甸服・侯服・綏服・要服・荒服)の制を定め、四海に声教が行き渡ったとする。

系譜と伯翳(伯益)

  • (史記より)顓頊の裔孫女脩が玄鳥の卵を呑んで大業を生み、その子孫大費(伯翳)が禹の治水を助け、舜より嬴姓を賜ったとする。

山海経の異境・異物譚

  • (山海経より)招揺の山・崑崙山・西王母・沃の野など、禹が定めたとされる九州の外にある異境の山川・草木・鳥獣・神々についての記述を多数引く。崑崙山は「帝の下都」とされ、西王母や開明獣が住むとする。

九鼎の鋳造

  • (説文・漢書・史記ほかより)禹が九牧の金を集めて九鼎を鋳造し、九州の物象を象って承天の祐としたとする伝説を伝える。

編者按

  • 堯の在位六十年に洪水が起こり、鯀に治水を命じて九年成らず、舜が禹を挙げてその業を継がせ、益・稷とともに八年で治水を完成させたことを整理する。鯀の失敗は「障(塞き止める)」の法によるものであり、禹の成功は「導(水の性に従って導く)」の法によるとし、鯀の防いだ堤を禹が活かした面もあると論じる。禹貢は虞夏の際に成った功業を後の夏史が追記したものであり、夏書の首篇として王業の由来を明らかにする意義を持つとする。山海経の怪異な記述については、太史公も「不経」として言及を避けたが、諸子が広く引用するため一家の説として存録したと述べる。