繹史虞舜の紀伝(有虞紀)

  • 履歴: 有虞氏、姓は姚、諱は重華、字は都君。父は瞽叟、遠祖は帝顓頊とされる。父・継母・異母弟象に疎まれながらも孝を尽くし、歴山で耕し、雷沢で漁をし、河浜で陶器を作った。堯に見出されて二女を娶り、百揆を掌り、堯の崩後三年の喪を終えて即位。二十八年間堯の代理として政を執り、即位後三十九年で崩じ、蒼梧の野に葬られたと伝える。

出自と孝行の伝承

  • (史記より)舜の父瞽叟は盲目で、後妻の子象を偏愛し舜を殺そうとしたが、舜は逃れつつ孝を尽くしたとする。
  • (越絶書・帝王世紀ほかより)舜が変わらず親に仕え、大杖は避け小杖は受けたとする故事を伝える。

耕作・漁労の逸話

  • (史記より)舜が歴山で耕し、雷沢で漁をし、河浜で陶器を作ると、その地の人々が互いに譲り合うようになり、一年で村、二年で邑、三年で都をなしたとする。
  • (淮南子・韓非子ほかより)舜が徳をもって民を感化する様を諸子が論じ、韓非子は儒家の聖人観への批判を加える。

堯による登用と試練

  • (史記・書より)堯が舜を二女に娶らせ、九男を交わらせて内外の行いを観察したとする。
  • (史記・列女伝より)瞽叟が倉の屋根を塗らせて火をかけ、井戸を掘らせて土で埋めるなど、舜を殺そうとしたが、舜は笠を使い、間道から脱して難を逃れたとする。

百揆への登用と四凶の放逐

  • (書・史記より)舜が五典を掌り、八愷・八元を挙げて用い、渾沌・窮奇・檮杌・饕餮の四凶を四裔に流したとする。
  • (史記より)堯が舜を山林川沢に入らせ、暴風雷雨の中でも迷わなかったので聖と認めたとする。

摂政と即位

  • (書より)堯が舜に帝位を譲る意を示し、正月上日に文祖廟で摂政の位を受けたとする。
  • (史記より)堯の崩後、三年の喪を終えて舜は丹朱に位を譲ろうとしたが、諸侯・訴訟人・謳歌の民がみな舜に帰したため、天命として即位したとする。

四罪と共工・鯀の誅

  • (書より)共工を幽州に流し、驩兜を崇山に放ち、三苗を三危に竄し、鯀を羽山に殛して天下が服したとする。
  • (韓非子・呂氏春秋より)鯀・共工が堯の禅譲に異を唱えて誅されたとする異伝を併記する。

堯舜問答

  • (荀子・尸子・荘子より)堯が舜に治国・用心のあり方を問い、舜が「執一無失」「天徳而出寧」などと答えたとする問答を集める。

河図・洛書の瑞祥

  • (宋書符瑞志ほかの緯書より)堯・舜が黄河・洛水で竜馬・神亀から図書を授かり、禅譲の予兆としたとする伝説を詳述する。

音楽

  • (琴清英・尸子より)舜が五絃の琴を弾じ「南風」の歌をもって天下を治めたとする。

即位と官制の確立

  • (書より)舜が文祖廟に格り、四岳・十二牧に諮り、禹を司空、后稷を播種、契を司徒、皋陶を士、垂を共工、益を虞、伯夷を秩宗、夔を典楽、龍を納言として二十二人を任じたとする。
  • (史記より)これら二十二人がみな功を成し、蛮夷も服したとする。

皋陶謨・大禹謨

  • (書より)皋陶が禹に徳・知人・安民を説き、九徳を論じ、禹もまた洪水を治めた功業と丹朱を戒めとした経緯を語り、互いに戒め合ったやりとりを記す。

巡狩と礼制

  • (書より)五載に一度四岳を巡狩し、瑞を班ち、五礼・律度量衡を統一したとする。
  • (尚書大伝より)元祀に四岳を巡り、十二州ごとに音楽を定めたことを詳述する。

音楽と瑞祥(続)

  • (呂氏春秋・書より)夔に命じて「九招」等の楽を作らせ、簫韶九成に鳳凰が来儀したとする。

治世の理念

  • (淮南子・管子・新書・尸子・韓詩外伝・呂氏春秋より)有虞氏の祭祀・服色や、舜が敬をもって忠信愛を得たという言葉、民に善を貢がせた徳治、器物や衣食の質素さを称える記述を集める。

考績と歌

  • (書より)三載ごとに考績し、幽明を黜陟し、庸作の歌(股肱喜哉・元首起哉等)を交わしたとする。

善巻の故事

  • (高士伝より)善巻は舜からの譲位を辞退し、質素な暮らしを選んで深山に隠れたとする。

子女と後裔

  • (帝王世紀・山海経より)娥皇に子なく、女英が商均を生んだとする系譜と、山海経に見える異伝の子孫譚を併記する。

崩御と葬地

  • (書・史記より)三十歳で堯に挙げられ、五十歳で摂政、五十八歳で堯崩、六十一歳で即位、在位三十九年で南巡の途上、蒼梧の野に崩じ、江南の九疑(零陵)に葬られたとする。
  • (帝王世紀・墨子・礼記ほかより)葬地・薄葬の様子や、二妃(湘君・湘夫人)が悲しんで湘水に身を投げたとする伝説を併記する。

編者按

  • 舜が匹夫から天下を得たのは堯以来はじめてのことであり、堯が子の丹朱に授けず舜を選んだのは至公の心によるとする。一方、堯・舜が同族であるとする史記の説には先儒の異論があり、両女を娶らせたことが同姓婚に当たるとの疑義や、舜が四岳の薦挙を経てはじめて用いられたことは「九族既睦」と矛盾するとの疑義があることを紹介する。編者は『国語』『左伝』の記述を検討し、舜の系は虞幕に出て顓頊を祖とし、必ずしも黄帝の直系ではないとする路史の考証を支持しつつ、堯・禹の系譜にも世代の遺脱があり得るとして、史記の「同族異号」説を全面的には採らない立場を示す。