繹史皇王の異説(皇王異說)
「皇」「帝」「王」「霸」「君」など君主の称号の由来と用法の異同を集めた篇。諸書の語義解釈を並べたうえで、末尾に馬驌自身が三皇五帝の系譜的な矛盾や、称号の後世における濫用について長く論じる。
帝・王・皇の語義
- (爾雅より)天・帝・皇・王・后・辟・公・侯はみな「君」を意味する語である。
- (白虎通より)徳が天地に合う者を「帝」、仁義に合う者を「王」と呼び、優劣を区別する。「皇」は「煌煌(光り輝く)」の意で、一人の民も煩わせない統治者を指す。(尚書刑徳考・独断・帝王世紀・楽稽耀嘉の割注に、皇・帝・王のそれぞれの語義説明が並記される。)
- (風俗通より)「皇」は天のように無為で四時が巡り万物が生ずるさまを言い、光明・広大・中正の意を持つ。「帝」は五帝が四時に応じて政を行うことを言う。
- (春秋繁露・独断より)天子は「天子」、諸夏からは「天王」、夷狄からは「天子」と呼ばれる等、呼称が場面によって使い分けられる。
- (白虎通より)臣下に対しては「帝王」、天に対しては「天子」と呼び分けるとする。
- (説文より)「王」の字は天・地・人の三画を貫く者を意味するとする(董仲舒の説に基づく)。
- (淮南子より)帝は太一を体現し、王は陰陽に法り、覇は四時に則り、君は六律を用いるとされ、六律(生殺・賞罰・予奪)を掌握することが君主の要諦とされる。
- (新論より)制令も刑罰も無いのが「皇」、制令のみあるのが「帝」、賞罰・朝聘を行うのが「王」、盟約と武力で信義を正すのが「伯(覇)」であるとする。
- (管子・呂氏春秋より)道を明らかにするのが皇、道を察するのが帝、徳を通じさせるのが王、謀に勝つのが霸であるとする。
- (独断より)上古の天子のうち伏犧・神農を「皇」、堯・舜を「帝」、夏・殷・周を「王」と呼ぶとする。
三皇の異説
- (潜夫論より)世に三皇として伏羲・神農を挙げるのは共通するが、残る一人を燧人・祝融・女媧のいずれとするかは諸説あって定まらない。
- (尚書大傳・白虎通・礼含文嘉・春秋運斗樞より)燧人・伏羲・神農をそれぞれ「遂皇」「戲皇」「農皇」と呼ぶ理由(火・人事・地力にそれぞれ由来する徳)を語義から説明する。また伏羲・神農・祝融を三皇とする説(白虎通)も紹介する。
五帝の異説
- (白虎通より)『礼記』に基づき黄帝・顓頊・帝嚳・堯・舜を五帝とし、それぞれの号の語義(中和・専正・窮極・崇高・後継など)を説く。(風俗通の割注に、光・厚・信・成・髙饒・推循といった別解を添える。)
- (白虎通より)夏・殷・周を三王とし、姓ではなく王朝の号で天下を呼ぶ理由や、夏=大、殷=中、周=至密という語義を説く。
編者按
- 三皇五帝は世に広く言われる語だが、司馬遷『史記』が五帝本紀を黄帝から始め少昊を欠くことについて、馬驌は『礼記』月令や郯子の言などと矛盾すると指摘する。
- 司馬遷が拠った『帝繋』『世本』自体、周末の採録で誤脱が多く、舜の祖・虞幕が『左伝』『国語』に見えるのに脱落しているなど、史記の記述には食い違いが多いと具体的に列挙する(楚の二祖、斉の二祖、伯翳と皋陶の父子関係の矛盾など)。
- 益(伯翳)が昊(少昊)や伏羲(宓戲)、嚳(俈)、紂(受)、契(卨)などと同様に、文字の異表記により別人のように記録される例が多く、これらを安易に二人と見なすべきではないと述べる。
- 共工・有巣氏・倉頡・羿など、時代の異なる複数の記録に同名の人物が現れる例を挙げ、これらが本当に同一人物なのか慎重であるべきだとする。
- 三皇・五帝・三王の時代をそれぞれ春・夏・秋にたとえ、時代ごとに政治のあり方(作・述、革・因)は異なっても、民を治め安んじるという本質は同じであると総括する。
- 「王」の呼称については、本来天子のみの称号であったのが、徐・呉・楚が僭称して「王」を名乗った例、斉と秦が「帝」を僭称した例、項籍が「覇王」を兼称した例など、時代が下るにつれ称号が濫用されていった経緯を辿る。秦の始皇帝が「皇帝」の号を創始した経緯、漢の高祖が異姓の功臣にまで「王」の称号を与えた経緯にも触れ、称号の変遷を通史的にまとめる。